電気、水、ガスなど、現代では当たり前のように供給されるエネルギーがあります。

 
そんなエネルギーインフラの上に、電車や飛行機、船といった交通機関から、通信網、百貨店など様々なお店、病院、行政も成り立っている。
 
この現代社会を成立させているのが、エネルギーの安定供給です。
 
一定量、必ず供給される。
 
この安定感が無いと、
 
「今日は、水道から水は出ません」
 
「あ、手術中にモニターの電源切れちゃった。今日はもう無理だから明日にしょうか」
 
と、突然なります。
 
計画できないのが人生ですが、成り行きに任せると、惨事・混乱の極みになるのも、また現代社会です。
 
ある程度、計画・計算できるのは、それだけ物質的に豊かになったから。
 
それは勝手に豊かになったのでなく、
 
「こういうときに、これだけ必要」と自覚して、それだけのエネルギーが供給できるよう、意識的に余裕を増やしていったからです。
 
時にその安定は壊れますが、そうした非常時の備えや準備も、多少は整える余裕のある時代になりました。
 
何が言いたいかというと、
 
「安定は豊かさのシンボルであり基盤」
 
その安定は、ふだんから意図的に余裕をつくっておくことで、徐々につくられてきます。
 
成るように成ると達観している人なら良いのですが、実際のところ、そんな人はまだ見たことありません。
 
ちなみに僕は「あぶく銭」は、全額かんたんに引き出せないようにします。
 
降ってわいたものなので、すべて無かったことにする。で、意識から消し去る。
 
引き出せないお金は、金融機関から政府や企業に貸し出され、社会保障や産業の成長にまわされます。
 
社会全体の繁栄に勝手にまわっていく。
 
あぶく銭なんてのは、本当に予定外のものなので、その活用の仕方が、自分ののびしろになります。
 
自分はそうそう変わらない。その変わらない自分が、もし何か変化するとしたら、思いがけずやってきたあぶくをどう扱うか、です。
 
世間が言うように、あぶく銭はパーっと使え、は、イコール「あなたは何も変わるなよ」ってことです。
 
あぶく銭だけじゃありません。
 
あぶく情報、
 
あぶく人脈、
 
あぶく物品。
 
思いがけずの物事こそ、ぜんぶ大切にします。
 
そうでもしないと、本当に何も変わらない、変えられないと思うのですよね。

「あぶく」は神様がくれたチャンスだ! と都合よく解釈しています^^