「まずは体験だな」

スピリチュアル界隈の用語って、何やかや沢山ありますよね。最初に聞いた言葉は、「バシャール」でした。「なに、バシャールって??」

意味がわからないと、話しに参加できない。セミナーも理解できない。

そういう「勉強しないと、コミュニケーションが不便」というレベルの知識はあるのですが、しかし・・・

ひとつ極論を言い切ってしまうと、

「スピリチュアルに知識って要らない」

これは、いろんな書籍を読んで思いました。

一般の書籍と、スピ系の書籍の違い。

それは文章の内容よりも、その文章にのっかっている見えないエネルギーに価値があるってこと。

逆にいうと、特にエネルギーを感じなければ、どんな内容が書いてあっても「あんまりよろしくない」ってことです。

それが端的にあらわれるのは、例えば、

プレアデス星人とかシリウス星人といった宇宙系や、古代文明の話し。

その手の知識っていっぱいありますよ。

たとえば僕はレイキヒーリングという技を身につけていますが、ドリーン・バーチューさんというスピ系の有名人が「レイキはプレアデス星から来た」と発言しています。

そう、レイキはプレアデス星から来たんです。

リュウ博士はやっぱりレイキやっているだけに、プレアデスと当然関係ありますよ。

どやぁ〜

・・・

こういうの覚えなくていいと思うのですよ。

ドリーン・バーチューさんというスピ系の有名人が「レイキはプレアデス星から来た」と発言している。

以上。

っていう。

それ以上でも以下でも無い。

これはひとつの情報ではあるけれども、事実では無い。

「レイキはプレアデス星から来た」というのを事実として受けとめる必要は無いということです。

事実として議論の前提にするには、ナンセンスな情報ばかりなのが、このスピリチュアル界の現実でしょう。

だから相手にしない人も多い。

「だって、ウソか妄想でしょ?」と言われると、反論しようもない。

しかし、そのバーチューさんが受けとったであろうインスピレーションや言葉が完全にナンセンスなものかというと、

そこは僕は違うと思っています。

スピ系の情報をまるで科学的真実のように、言葉の意味や内容を扱うとおかしくなる。

同時に、その言葉にふくまれている見えない霊的なエネルギーがある。

そこに価値があるなあと感じているのです。

その見えない霊的なエネルギーが、わたしたちの肉体をつつむ霊的な身体(エネルギーボディ)に働きかける。

エネルギーというのは、行動変革のエネルギー源。わたしたちの行動を変革するエンジンだの燃料だのとなります。

なると僕は思っている、としておきましょうか。

だから「スピリチュアルは行動学」だと。

科学的知識のように、知的な議論につかうようなものでは無い。議論して、論理的に言い負かしたところで、だから何なの??っていう。

たとえば、宇宙人か地球人か論争ってあります。

僕自身は、もちろん地球人ですが、同時にスピな界隈に出入りすると、「シリウス系ですね」とかいわれる。そう発言した人にとっては、僕は「宇宙人=シリウス星人」という事になる。いわゆるスターピープル。

ある人物がスターピープルなのかどうか、議論して、既存のスピリチュアルな知識をもとに、どちらかだと論理的に証明したとしましょう。

あの人はこれこれこういう特徴があるから、プレアデス系だ。地球土着だと。

だから何なのでしょう?? 言葉遊びでしかない。

でもスピリチュアルをいろいろ勉強しすぎるとこうなってしまう。

だから「体験」が重要だし、「体験」から入らないと迷走してしまう。

内輪で楽しんでいるだけであれば、言葉遊びでもいいのかもしれません。

でももし「人生の役に立つかどうか」「精神性の向上に活かせるか」という視点でみると、

スピリチュアルは行動学。実際の自分の人生・生活に取り入れ、活かし、改善していくものであろうと。

その改善するための目に見えないエネルギーを供給してくれるのが、

スピリチュアルな書籍であり発言であり情報であると、僕は思っています。

【著書】

26万部突破♪『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(八木龍平・著/サンマーク出版)