エポケーってご存知ですか? これ僕が精神世界を探究するために必要な態度として、最初に習った考え方です。2002年のことでした。
精神世界・スピリチュアル、あるいはココロの領域なんてのも、怪しい・危ないイメージありますよね。それは海にダイブするのと同じ。ただダイブしようとしても浅瀬でチャプチャプしている以上のことはできません。そのまま潜ろうとしても、すぐに引き返さないと死にますよね。
深く潜るには装備が必要なんです。
それがエポケー。
「判断を保留する」という意味です。なぜ判断を保留するのかというと、もし真実が到達不可能、ないし到達しにくいものならば、判断を急ぎすぎるとかならず誤るからです。
フッサールという哲学者がエポケーを有名にしたのですが、彼の言うエポケーとは「カッコに入れる」こと。意味不明ですね(笑)
ようするに、この世界、この現実で日々起こる現象を起こるに任せ、純粋な現れとし、そこで現れているものについてはもはや断言しないということ。でも否定・捨てるわけじゃなくて、カッコという袋に入れておく。こんな事があったなと。でもその事についてジャッジはしない。
現実に対するあらゆる判断を保留するわけです。
こんな人と仕事したら、いつまでたっても何も進みませんね(笑)。だから、いわゆる精神世界・スピリチュアル、あるいはココロの領域にほぼ限定して僕は使っています。
和製英語で動詞にすると、
エポける^^
「エポける」ことによって、精神世界を探究するときに「当たり前に」起こりうる、幻覚幻想幻聴だらけの海を航行しやすくなるのです。
このTAIZOさんとのトークLIVE動画/DVDで、2人ともわりと疑い深そうな態度を出していますよね。
神さまと電波を味方につけてゆる〜くフリーに生きるコツ
これ、「否定している」のではありません。それはエポケーじゃない。否定だと、既に「これは違う」と判断・ジャッジしているわけですから。
そうじゃなくて、疑い深くもみえるこの「エポケー」によって、判断を保留しながら、怪しくも美しい精神世界の海を潜航しているんです。
判断すると、そこで航行が止まる。
とにかくとらわれないこと。否定も肯定もしない。次々と起こる神秘・怪奇現象を横目に見ながら、深く海を潜るダイバーのように静かに静かに進んでいく。
さあどこまで行けるのか。
精神世界・スピリチュアル、あるいはココロの領域なんてのも、怪しい・危ないイメージありますよね。それは海にダイブするのと同じ。ただダイブしようとしても浅瀬でチャプチャプしている以上のことはできません。そのまま潜ろうとしても、すぐに引き返さないと死にますよね。
深く潜るには装備が必要なんです。
それがエポケー。
「判断を保留する」という意味です。なぜ判断を保留するのかというと、もし真実が到達不可能、ないし到達しにくいものならば、判断を急ぎすぎるとかならず誤るからです。
フッサールという哲学者がエポケーを有名にしたのですが、彼の言うエポケーとは「カッコに入れる」こと。意味不明ですね(笑)
ようするに、この世界、この現実で日々起こる現象を起こるに任せ、純粋な現れとし、そこで現れているものについてはもはや断言しないということ。でも否定・捨てるわけじゃなくて、カッコという袋に入れておく。こんな事があったなと。でもその事についてジャッジはしない。
現実に対するあらゆる判断を保留するわけです。
こんな人と仕事したら、いつまでたっても何も進みませんね(笑)。だから、いわゆる精神世界・スピリチュアル、あるいはココロの領域にほぼ限定して僕は使っています。
和製英語で動詞にすると、
エポける^^
「エポける」ことによって、精神世界を探究するときに「当たり前に」起こりうる、幻覚幻想幻聴だらけの海を航行しやすくなるのです。
このTAIZOさんとのトークLIVE動画/DVDで、2人ともわりと疑い深そうな態度を出していますよね。
神さまと電波を味方につけてゆる〜くフリーに生きるコツ
これ、「否定している」のではありません。それはエポケーじゃない。否定だと、既に「これは違う」と判断・ジャッジしているわけですから。
そうじゃなくて、疑い深くもみえるこの「エポケー」によって、判断を保留しながら、怪しくも美しい精神世界の海を潜航しているんです。
判断すると、そこで航行が止まる。
とにかくとらわれないこと。否定も肯定もしない。次々と起こる神秘・怪奇現象を横目に見ながら、深く海を潜るダイバーのように静かに静かに進んでいく。
さあどこまで行けるのか。