今回は広い意味での時事ネタです。ちょっと前のショーンKさん学歴詐称で、ひとつ議論のネタになったことが「日本って学歴社会だよねー」という話し。

少なくとも学歴に対して、なんやかや色々な感情がある人が多いのだなーというのは、改めて感じさせられた出来事でした。

「学歴が良い」というのは、おそらくは学生時代にかなり努力したはずなのですよね。勉強の素質もあったかもしれない。

努力×素質×運かな。

で、その努力と素質が本当に評価されているのか、むくわれているのか・いないのか、40年も生きていると考えさせられることがあります。

女性と男性に分けて考えようか。

僕が30才半ばを超えたあたりから、ごくたまに「知人の女性を紹介する」という話しがくるようになったのですよ。年に1~2回かな。独身ですから、奇特な方にお気遣いいただきます。

で、そうやって紹介されてくる女性にはひとつ共通点があって、「超・高学歴」です。

いわゆる旧・帝国大学(東大・京大・名古屋大など)か医大か、どっちかだね。

その時に、これもお決まりのフレーズがあって、「リュウさんなら、学歴は気にしないと思って」ってこと。「気にするかな?」と確認されることもあった。

これ、「超・高学歴」が原因で差別されているってことだよね。ちがうかな? 同和問題とか思い出しちゃいましたよ。「部落出身なのだけど……気にする人?」みたいな。

同じようなこと、実は男性でもあります。

「大学、どこ?」みたいな話しになることがありますよね。別に「どこ?」と聞かれなくとも、「おれ、◯◯大学を出ているのだけど」と何かの拍子に出身校についてふれる話題とかある。

でも東大出の男は、ほとんど言わないよ。「自分は東大だ」って。そういう話題はなるべく避けようとする。例外は帰国子女の東大卒ですね。たとえばアメリカは「おれ、ハーバード」とか普通に言えちゃうから、日本に帰ってきてもその感覚で言える。

なんで隠すかっていうと、やっぱりイヤな思い味わっているのだよ。だから隠すんだよね。これが私立だとどこでもさらっと言えちゃうけど、東大は話しが別みたい。

たまにそのうっぷんがたまるのか、爆発する人もいるけど。で、たたかれる。そして「東大をハナにかけてる」みたいな話しになる。

東大じゃない人から見ると、「おれ東大なんだけど~」ってフェラーリ持っているみたいに自慢しちゃいたくなりそうだけど、そんな心境とはほど遠いみたいですね。

東大卒で出世する人は多いけど、別に当たり前なんだよ。だってずば抜けて頭がいいし、ずば抜けて努力もできるのだから。

でも「東大だから」と、何かズルでもしたような取られ方をされる。後ろめたい事でもしたみたいな感覚にさせられちゃう。

超・高学歴になると、男女関わらず「口をつぐむ」し、「差別される」ってことですね。

これ、学歴の話しをしていますが、学歴だけじゃないです。根っこの「心理」の話しなのだから、学歴以外にも適用される。

そう、努力と、それで得た大きな結果が「(健全な)誇り」になることを、日本って周りが許さない社会ってことなのだよね。

努力がむくわれると差別されるわけです。けっこう悲しい現実だけど。

ただ、ひとつ救われるといっていいのか、社会ってひとつじゃない。外国もあるし、ひとつの国の中でも、社会にはレイヤー(層)が複数ある。色々な層が重なり合っているけど、まじわっていない、みたいなね。

努力がむくわれたことが健全な誇りになる、そんなレイヤーもある。あるいは差別される人達でかたまって共感しあう(なぐさめあう)レイヤーもある。

ただ、日本の最大派閥のレイヤーは「努力がむくわれたら、許さない社会」だから。

逆にいうと、「努力がむくわれることは可能な社会」でもある。だから「むくわれたら許さない」のですよ。直接何かはしなくとも「厳しい目」にさらされる。

なんか書いていて、ちょっとおそろしい社会のような気もするけど、現実だからなー。

最大多数レイヤーは、飛び出なければ安全だから、割り切っちゃえばいい。飛び出ず、脱落せず、足並みそろえる。学生時代に多くの日本人は学びましたから大丈夫。普通にしていればいい。

あるいは飛び出る(脱落する?)つもりならば、「何か事が成ってから飛び出る」のでは無くて、「まず」飛び出た方がいい。飛び出て、歓迎してくれそうなレイヤーに入ること。

どこのレイヤーに入るかの見極めは必要だし、そこは多くの人は何回か失敗したり試行錯誤したりもする。

でもとりあえず出ちゃった方が安全ですよ。特に精神衛生上は(笑)。


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