たまに「モテるとは何か?」哲学的に考える。たとえば、こんな問いだ。

「なぜ、あの人は素敵で非の打ち所が無いのに、好きな人には好かれないのか?」

これは何も恋愛に限った話しでは無い。友人関係でもあるし、仕事の関係でもある。性格良し、見た目良し、条件良し、でもね、みたいな。うん、僕のことですね(笑)。

冗談はさておき、「モテる」というのは結構理不尽な世界だ。「なんで、あんな男/女が……」なんて思ったこと、誰でも一度はあるだろう。あるいは自分自身が「なんで、こんな男/女に......」と思いつつひかれてしまったり、「どうして、この人じゃダメなのだろう......」と自分でも解せなかったりなどだ。

いろいろ考えるに、ひとつ結論に達した。

「人は空白にひかれる」ということだ。もっと露骨に「欠損」といってもいい。穴は埋めたくなるもの、空欄は記入したくなるものなのだ。

そして人に「空白」を見出したとき、そこを無性に埋めたくなるものなのだ。まるでそれが自分の存在理由かのように。欠損を補うことで、自分の存在を証明できるような気がするのだ。

だから「あんなのに」人はひかれてしまう。

これは欠乏感とはまた違う。人は自分自身に欠乏感を感じると、それを埋めたくて、埋めたくて、他人から奪いたくなってしまう。

奪い方は実はそう難しくない。自分が何かに欠乏感を感じていること。そして、それを強く求めていることを、おりにふれて何度も人にうったえていけばいい。

重要なのは、自分の立場を他人に理解させること。不思議なもので、そうすると他人から奪える。どんなに理不尽な要求や欲求だったとしても、この人はそれを求める人なのだと理解すると、受け入れる他人は結構多い。ただし「一時的に」。

なぜなら、奪う人に他人はひかれないから。奪ったら食べて消費し、また奪いをくりかえすわけだが、そこに欠乏感はあっても欠損は無い。欠損を欠乏感が常に満たしているのだ。だから、ただ「イヤな感じ」をうけ、そして奪われることで、想像通り「イヤな人だった」で終わる。

それはともかく。

では「なぜ、あの人は素敵で非の打ち所が無いのに、好きな人には好かれないのか?」

そう、欠けていないから。欠けていないから、ひかれるところがない。満たされている人にはひかれないのです。

そしてそんな満たされている人には、奪う人が近づいてくる。一見モテているようにも見えるし、実際そうなのかもしれない。しかし幸せな関係とは中々感じにくい。少なくとも言い聞かせる必要はある。これで良いのだと。

奪う人というのは結構多い。いやそちらが多数派で、僕は違う、なんて顔をするつもりはない。

ただ、欠乏感の多さで、ふるまいが変わってくる。欠乏感が少ないほど、理性で抑制できる。相手との関係を壊さない程度に奪うことができる、ということだ。

そうすると満たされた器は、ほぼ満たされたままでいられる。器には常に新たな水が注がれる。おこぼれだけでも満足できれば、良い関係だ。おそらくそれが中年以降の「大人の関係」なのだろう。

以上から人生への教訓をまとめると、こうなる。

・奪うなら、減らさない程度に。
・奪われるなら、減らされない程度に。

これをお互いに理解して、「ちょっとずつ奪い合っていれば」、これはもう「与え合い」の関係と解釈できるのではないか。妥協の産物のようでつまらないといえばつまらないが、これで良いのではないだろうか。

ここで「人生とは妥協の産物だ」と割り切れないでいると、「なんで......?」となってしまう。「神様、自分はいい子にしているのに、どうして?」とモヤモヤした事になる。しかし満たされているから、切実にはならない。ただモヤモヤが継続していくだけで、深刻な問題にはならない。だから問題は残り続けるわけだが。

もうひとつの解は、誰かの空白を埋める人生を送るかだが、モテない(空白が無い)のだから、興味を持ってもらえない。そしてモテる自分に変身する、というのも正直不可能だ。秩序あるビジネスマンが、いまさら破綻したアーティストになることはできない。

もし自分に大きな空白が無いのであれば、もう理性と合理と妥協の「ちょっとずつ奪い合い」の世界で生きていくと割り切るしか無いのだ。そこにロマンは無い。

そうそう、年齢を重ねると空白あるもの同士でカップルになるケースもよく目にする。破綻した者同士がくっつくわけだ。最強のカップルというか最凶のカップルというか(笑)

もしどうしても割り切れなかったら、「最凶」になるしか無い^^


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