昨日は、渋谷で文章作成のセミナーに参加。なにせ講師が中西謡さんという、僕が博士課程の3年間、心の支えにした1冊の本を編集された方だったので、御礼の意味をこめて参加してきました。

課程を終えて、大学院のあった雪国の山奥から渋谷におりてきた時に出会った社長さん(女性で英語のスクールを都心で経営)の一言が忘れられません。「あ、勝ち組ですね!」

そういう本です。なので勝ち負けの概念の無いスピリチュアルなブログでは紹介しませんね^^

というのも、「現実世界の役に立たないスピリチュアルは意味が無い」というよくあるメッセージ、あれはウソだと思うからです。もちろん「経済合理性」という観点では正しいメッセージです。しかし「経済合理性>スピリチュアル」にしてしまうのは、根本的に変でしょう。

ブッダにしろ、キリストにしろ、あるいは古代ギリシャの哲学者たちにしろ、「お金・健康・人間関係(恋愛・結婚・友だち・親子など)」を求めて精神世界にふみいったわけではありません。経済合理性とは違う価値観が必要だと感じたから、スピリチュアルな道に入ったわけです。

現実を良くする知恵をもたらそうと志したのは確かですが、決して彼ら自身の物質的な生活を向上させようとしたわけではない。ブッダは家族も豪華なくらしも捨てたわけですから。

研究者の世界でも、理系の高名になった教授が、とつぜん仏教に深く傾倒することがあります。経営者や芸術の世界でも、稲森和夫さんや瀬戸内寂聴さんのように仏門に入る人達がいます。彼らもお金や愛人を求めて仏門に入ったわけではありません。

むしろ、そうした物質的欲求は手放すことを求められる。

同時に「現実の欲を捨てる必要があります。だからあなたの富は全部差し出してください」という犯罪宗教を無くすためには、「現実の役に立たないスピリチュアルは意味が無い」というメッセージも意味があったとは思います。

僕なりに結論をだします。

「現実世界をバランスよくしていく知恵としてのスピリチュアル」

これくらいでいかがでしょうか。世の中を・自分自身を「整えていく」ということ。

そんな人生を支える漢方薬のような知恵を、精神世界から持ってこれたらいいなと思います。

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