ロンダ・バーン著「ザ・シークレット」を読み始めました。ふむふむ、まだ冒頭ですが、日本人作家さんの本とちょっと受ける雰囲気が違いますね。<シークレット=引き寄せの法則>だそうで、どういう展開がなされていくか楽しみです^^

今のところ「エジプトなエネルギーだな」と感じていますよ^^ ピラミッドパワーをもとにしたセイキムレイキのエネルギーに似ています。

で、今日の本題。「スピリチュアルは勉強するな!」

副題は、「スピリチュアルは、実践科学である」です。でもこのタイトルじゃ読んでくれないかなと思って(汗)

いや、でも勉強するもんじゃないです。しようと思えばできますけど、ほんと「ただのイヤなやつ」になりかねません。そして科学の考え方を知ると、スピリチュアルに勉強は不要ということがわかります。

実はスピリチュアルも科学の一種です。科学か否かには、明確な基準があるのですね。それは「自分(達)の言っていることが本当かどうか、他人にも確認できるようにすること」。もし他人が確認できれば、それは科学です。固い言葉で「反証可能性を確保する」と言いますが、忘れてくださっていいです^^;

例えば小保方さんのSTAP細胞騒動がありましたね。STAP細胞は科学でしょうか? これはYESです。STAP細胞のつくり方を提示していたからです。だからこそ、他人も「本当にこのやり方でSTAP細胞がつくれるの?」と現象を再現できるか検証することができました。結果は「つくれないじゃん!」でしたね。

そうやって他人が「あなたの言っていることは本当?」と疑い、真偽を確かめられるようにするのが科学の条件。「私の言う事を疑う権利が皆さんにあります。どうぞお確かめください」と宣言できない人は科学者じゃないのです。

ではスピリチュアルは科学なのか? YESです。たとえば瞑想やヒーリング、チャネリングなど、その手順と効果を明示し、他人も「じゃその通りやってみるか」と実践できるのであれば、それは科学になります。効果は人それぞれでOK。なぜなら人間はみな違うからです。「私はこれをやってこうだったよ、どうぞ真似してみて」と言えれば、それで科学になります。

ただし、一般的な科学とスピリチュアルな科学には明確な違いもあります。ここが「スピは勉強するな!」というポイント。

それは一般科学は客観、スピリチュアル科学は主観ということです。別の言い方をすると、科学者は第3者として観察し、スピリチュアリストは当事者として実践します。

科学の場合、自分が実験対象になることはありません。実験対象は細胞やマウス、他人など、自分とは違う存在です。科学者はあくまで観察する第3者。<観察=客観>です。実践する必要はありません。<実践=主観>になるからです。見ていれば良いので、机上の勉強とも相性が良いです。

一方スピリチュアル科学の場合、スピリチュアリスト自身が実験対象になります。当事者として実践するわけですね。この実践がポイントで、机上の勉強じゃダメなんですよ。とにかく自分でやってみること。色々やってみて、スピリチュアルな方法だの法則だのが果たしてどんな効果を「自分に」もたらすのか、実感するのがスピリチュアルの科学です。

踊る阿呆がスピリチュアル科学、見る阿呆が一般科学ということですね^^ スピリチュアルは踊ってなんぼだし、一般科学は見てなんぼです。

逆に言えば、観察ばかりしている客観的なスピリチュアルとか、自分の主観ばかり語っている一般科学はナンセンス。それでは本当の事は何なのか、いつまでたっても分かりません。

というようなことを先端科学な某大学院で教わったのですよ。スピリチュアルも教えてくれる理系の大学院でしてね。

以上、これまでスピな本を読んでこなかった言い訳でした^^