三峯神社に行った友達のマリエさん、ブログに「お守りって本来、自分封じのためのモノ。自分の中にいる魔物をなだめるものなのだ」と直感したと書かれていて、ほー!と感心しました。

お守り、鳥居、注連縄。神社でおなじみのこれらの道具、実はどれも同じ役割を持っています。もちろん一般的には「外部からの魔の侵入を防ぐ」でしょう。そしてもうひとつがマリエさんが直感されたこと。内なる魔が出ていくのを防ぐ。ひょっとすると実は後者の方が本質なのじゃないかと。

僕も同意なのですよ。そのヒントになるのが神社にある「禁足地」です。禁足地というのは「入ってはいけない場所」というのが通常の理解です。注連縄がはってあって、僕たちは中に勝手に入ることはできません。いや首相官邸のように監視がいるわけではありませんから、勝手に入ろうと思えば入れます。しかし、「いやー、なんかまずいんじゃないか??(汗)」と思わされる気配を放っているのですよね。

で、この「禁足」って、本来の意味は「一定の場所から出るのを禁止」という意味です。お侍さんに禁足令が出たなんて記述を見たことありませんか。政治や企業でもあります。

~例文~
北京上層部に近い情報筋によると、周永康中央政治局常務委員に「北京から出てはいけない」との禁足令が出された。
~以上~

禁足地でひとつ知られるのは、奈良県桜井市の三輪山です。大神神社のご神体で、昔から禁足地に指定されてきました。現在は社務所で許可をもらえば立ち入り可能で、沢山の方が登っておられます。

で、ここから核心に入ってきますが、では一体何が出るのを禁止しているのでしょうか? 三輪山であれば、「三輪山から出るのを禁止されているのは誰か?」ということですね。

ま、神様しかいないんだよなー。「神様=内なる魔なのかよ!」という突っ込みもありそうですし、「神社には怨霊を鎮めるという意味合いがあるものね。菅原道真公の天満宮とか」と理解する人も多いでしょう。また<神様=ご神体の鏡=鏡に写る参拝者>という解釈でいけば、さきほどのマリエさんの解釈のように、「自分の中の魔をなだめる」という意味になりますね。

理論的にはこれで以上ですが、ただの迷信かというと、ちょっと恐い事もあって、織田信長さんですよ。あの人、諏訪大社の上社本宮を焼き払ったのですよね。滅ぼした武田家が厚く尊崇していたからと。土曜日に参加したお話会でも話題になりました。で、2ヶ月後に本能寺の変です。

ここから僕なりに読めることは、

・ご当主の武田勝頼は元々は諏訪家を継いだ諏訪勝頼だったから、特に諏訪大社とご縁が深かった。
・焼き払ったという事は、内なる魔が出ていったということ。
・諏訪大社といえば、ご祭神のタケミナカタが(タケミカヅチとの戦闘に負けて)「諏訪の地から出ません」とタケミカヅチに約束したと古事記に書かれている。つまり典型的な<禁足地>であった。

諏訪大社の4つの社には僕も行った事があります。色々と感じる事もあり、特に上社本宮と上社前宮には迫力を感じたものです。あの有名な御柱は一体何なのか? と。信長さん、いくら戦国の世とはいえ無茶なことをされたものです。

本能寺の変後に諏訪を領地とした徳川家康は、諏訪大社を厚く崇敬していました。家康さんは今の岡崎市にいた子どもの頃から、諏訪神社にはなじみがありましたからね。諏訪の神様は徳川家を選んだということでしょう。