天下取りとパワースポット、実は大いに関係があります。

日本三大弁財天といえば、ご存知の方も多いでしょう。琵琶湖の竹生島神社/宝厳寺、湘南の江島神社、そして広島は宮島の厳島神社/大願寺です。もっとも江島神社の代わりに、奈良県吉野郡の天河大弁財天社を三大弁天に含める人もいます。

話しを簡単にするために(?)、ここは竹生島、江島、厳島で話しを進めさせていただきます。この三社は、それぞれ天下取りに大いに関係しております。

最も有名な関係が、平清盛と厳島神社でしょう。平家の氏神様が厳島神社です。清盛は若い頃は安芸(今の広島)の国司で、瀬戸内海の制海権を取った事が後の繁栄の基礎になりました。この人はダ・ヴィンチのような天才でしょう。今や厳島神社といえば、世界で最も有名な日本の観光地ですが、そんな美しい景観を創造したのは、清盛の芸術的な才能によるものとしか言いようがありません。清盛が厳島を信仰した理由は定かではありませんが、平家物語によると高野山での神秘体験によるのだそうです。

竹生島といえば、豊臣秀吉の天下取りに関係しています。木下藤吉郎秀吉から羽柴秀吉になったのが、北近江(滋賀県北部)の長浜城主になった頃でした。竹生島は長浜市内にあり、羽柴姓になった秀吉は、織田家の重臣として、いよいよ大きな役割を発揮していきます。秀吉が建築した大阪城の一部は、今の竹生島神社の建物に使われているようです。秀吉建築の大阪城は大阪夏の陣で灰になっていますから、秀吉の大阪城が残る唯一では無いかと言われています。

で、江島神社。ここは北条時政が修行しているのですよ。鎌倉幕府の初代執権ですね。家門繁栄を願って江ノ島の岩屋に35日間参籠し、そこであらわれた龍が三つの鱗を落としていったので、北条家の家紋「三鱗」がつくられたと言われています。こうした神秘体験から、願いは成就すると時政は確信し、実際、執権政治は16代まで続きました。

最後の方はグダグダでしたが、南北朝期を舞台にした太平記では、「北条時政が江島に参籠したところ、江島の弁財天が時政に対して時政から7代の間北条家が安泰である加護を施したとし、高時(14代執権)の父貞時(9代執権)は7代目に当たり、その代で加護が切れた」と記載しています。勝者が歴史をつくる典型かもしれませんが、見えない神への配慮も感じられますね。

で、最後に蒲郡市の竹島。ここは三大弁天には入っておりませんが、竹島の八百富神社は七大弁天に含まれています。なぜこの記事で言及するかというと、徳川家康が関ヶ原の戦いの戦勝祈願を竹島で行なっているからです。

三大弁天+竹島は、弁天だけでなく、龍神とセットです。たとえば厳島神社でも、実際に弁天さまが祭られているのはお隣の大願寺なのですが、大願寺には守護する龍神さまがいます。江ノ島の龍神、竹生島の龍神も、よく知られていますね。

弁天+龍神のお力は強し! ですね^^