「孤独感を感じられるのは、人のあたたかみを知っているから」

そんな知人の投稿を見て、ほっほーと思いました。その投稿を見る前に、私はとある質問ないし主張を、別々の人にしていたのですが、それと共通性があったからです。

ある男性の映画監督に質問しました。

「映画に出てくる人に、心揺さぶられる人達がいた。その人柄に尊敬すると同時に、自分にはこういう人柄は無いなと、劣等感も感じます。こういう人柄、身に付けられますか?」と。

素晴らしい人格だけど、オレにはまず真似できないなと。キャラが違うといってもいいです。その時の監督の答えは

「そう思うってことは、リュウさんの中に同じ人柄があるってことですよ」

この時は、フーン。

後日、とある女性と渋谷の某ホテルのラウンジでお茶していたときのこと。

上記と同じような話しをしました。この時は質問じゃなくて、「映画の登場人物のHさんという人に会ったけど、感銘を受けた。自分には無い人柄だから、かえってより印象深いのかな」と。そうするとやっぱり同じ答えで、「いや、ありますよ。無かったら反応しません。リュウさんの中でHさんと同じ部分があるから、反応するんです」

そういう風に、どこかの心理学で教えられているのかな? と思っていたら、「ちゃん受けとめて無いね?」「うーん」(腕をくみ、首をひねってみるテスト)

やっぱり、フーン。

が、「孤独感を感じられるのは、人のあたたかみを知っているから」という言葉を見て、ようやく、なるほどなるほど、シータヒーリングの用語でいえば、「あたたかみ」という感覚・感情のダウンロードができている。だから、その感覚が「満たされていない」「満たされている」と感じることができるということ。

その投稿主の言葉をさらに継ぎ足すと

・かつてあなたに「あたたかみ」を与えた存在がいた。与える人がいてくれたから、自分の中に基準(シータでいう感覚・感情)がある。だから与えられたことにまず感謝しよう
・(あたたかみが)欲しければ与えろ。与えないから、得られない

スパッと言い切るねぇ、なんて感心していたら、そうそうオレも似たような事があったなと、上記の男女とのやりとりを思い出したわけです。

時計を知っているから、時計が無いと感じる。愛が欲しいと感じるのは、愛を知っているから。

そう考えると、もし「欲しいと思わない」ことがあるとしたら、それは満たされているのか、それとも与えられたことが無いのか。

意外に暗部に踏み込むな、とちょっと思いもしました。