よく神社に参拝しますので、今日は簡単に参拝する意味と作法を解説してみましょう。

まず何の意味があるのか。基本的には祓いです。罪・けがれ・災いの除去。何かをプラスするのでは無くて、余計な何かを取り去ります。

どうやって祓うのか?ひとつは神の気にふれることです。いきなり怪しいですが、鳥居の前に近づくと、風を感じないでしょうか?感じるというあなた、それです。鳥居の前を一直線に道が続くところは、それが車道や歩道といった一般の道であったとしても、実質的には参道の役割を果たします。勿論、鳥居をくぐって拝殿・本殿に向かうまでも参道ですが、この参道を歩く間に、神の風で祓ってくれます。

その他にも色々と祓いの工夫があります。まず手水舎で手を洗い口をすすぎますね。これも立派な祓いです。また境内の前、もしくは中で、川を渡ることがありますが、これも祓いのシステムです。橋を渡ると一段と祓いが進むわけです。この川は三途の川のようなものです。すなわち、この世からあの世、異次元ワールドへの橋なのです。

この強力な祓いを可能にするのが、川の水です。琵琶湖の竹生島ならば琵琶湖の水、江ノ島や蒲郡の竹島であれば太平洋の海が祓いの水になりますので、非常に強力です。明石市から淡路島に渡る明石海峡大橋は、素晴らしい祓いのシステムです。じゃ淡路島はあの世なのか?と言われそうですね^^ 江ノ島や竹島があの世であれば、淡路島もあの世です。そしてさらに異界なのが、淡路島の南にある小さな島「沼島」です。


で、祓ってどうするのか。祓って祓って、そして拝殿・神殿にてご祭神と対面します。神の体、すなわちご神体は鏡です。鏡と対面すると何が写るでしょうか?自分です。そう、ご祭神とは、あなた自身です。祓って祓って祓って、あらわれたあなた。それが神社の神なんですね。日本神道的な神との対話とは、罪けがれを祓った自分自身との対話になります。

対話といってもそこに言葉はいりません。ただ感じればいいのです。もし言葉が必要ならば、神社の教えが体系的にまとまった、聖書や仏典にあたるものがあるでしょう。しかし日本神道に教えはありません。教えはあなた自身です。したがって神父・牧師・僧侶のような説教をする導師も存在しません。師はあなた自身だからです。

ここまで書けば、おのずと作法も見えてくるでしょう。そう、特別なことは必要ありません。ただ無心に参拝すればそれで十分です。余計なことをできるだけしない。それに尽きます。

手を洗い、そして手を合わせる。口をすすぎ、そして祈りの言葉(詞)を唱える。祈りの詞も多くの神社に書いてあります。「祓いたまえ、浄めたまえ。神ながら、守り給え、幸え給え」何も考えず、合掌して、この詞を(心の中で)唱えてください。それが神社でのお願い事にあたります。

もっとも拝殿での参拝時間は非常に短く、10秒程度のものです。何せ混んでいる時は後ろがつかえていますからね。30秒も祈られては迷惑でしょう(苦笑)なので、願い事は「祓いたまえ、浄めたまえ。神ながら、守り給え、幸え給え」くらいでシンプルにすませます。より長い願い事があるのであれば、ご祈祷やご祈願と呼ばれるものを神社に申し込んで、じっくりと参拝しましょう。所要時間は神社や参拝形態によりますが、神なる自分と向き合う時間は10分はあるはずです。

自分にお願いするわけですから、「◎◎高校に合格したいです!」というのがどういう意味合いを持つか分かりますね。そう、これは決意をしている、自分に誓っているということになります。

神社へのお願い事とは、自分への約束なのです。