ここ数日出張でして、普段見ることのないテレビを視聴できました。話題のニュースは、韓国のナッツリターン騒動と日本の総選挙。

韓国のニュースは「韓流ドラマを地でいっとる!」と単純に面白かったと同時に、騒動の主がここまで国際的にさらし者になるとは、残酷なお国柄だとも思いました。

日本国は成熟経済から、衰退期へと急速に移行しつつあるなーと、選挙結果を見て改めて思いました。

アベノミクスはもう終わりでしょう。失敗したと言いたいのでは無く、やることはやったということ。これ以上何かあるのでしょうか?勿論、国家運営上ですべきことは山ほどありますが、アベノミクスという名前でやるような経済政策は、もう特別無いということを確認する選挙になりました。勿論、野党もネタ無し状態でしたね。

今回の選挙の争点は、「あがくか、あきらめるか」という選択肢だったのではないでしょうか。国家を運営するという視点では、「あがいた方がマシ」だと僕は思いますが、なかなか辛い選択です。あきらめたら?スコーンと落ちますよ。必死で下り坂(逆流)を上ろうとするか、あきらめて転がり落ちるかの違いです。

マーケティングの世界だと、衰退期の商品に対しては、大幅なコスト削減の方法を見出すか、あるいは減少する顧客に値上げをすることになります。これ、国家も同じですよね。歳出削減の話題は、最初の安倍政権が退陣して以来、どこかに消え去りましたから、値上げしか無いということでしょう。増税ですよね。もうひとつの選択肢は、もはや「命を削る」レベルの内容になります。

投票率の低下が問題視されているようですが、「政治よりもっと大事なことがある」、あるいは「政治に関わりあっている場合では無い」という民意も多少現れているかなと。

これ、麻生元総理の言葉ですが、政治家は、利益の分配をする存在から、負担を分かち合う存在に変化したと。正にそうで、どうやっても嫌われます。安心できる社会保障を!といったって、無い袖は振れないですしね。将来世代の安心をある程度確保する方法はありますが、それは今安心している人達の安心を奪う方法でもあります。

「国民の生活が第一!」と相変わらず小沢一郎さんが言っておりましたが、生活を守る方法は、政策で担保する割合は確実に減ってきており、世帯ごとに個別に対策を立てる必要性がどんどん増してきているというのが実感です。

今日明日の危機ではありませんが、じわじわと確実に存在する社会的危機です。私、実は社会福祉の現場に首を突っ込んでいるもので、2025年問題とか、多少は人より実感しています。いや、本当に2020年の東京オリンピックを過ぎると、首都圏の高齢者問題は急速にやばくなるのですよ。

2020年以降は東京の人口が減り始めるので、経済の牽引役がマイナス成長になるのは目に見えているのですよね。人口減は経済の縮小とイコールですから、オリンピックが過ぎると本格的にガクン!と来ます。「衝撃に備えよ」というレベルです。

じゃどうすんの?というのは、色々考えられますが、個人で見つけていくしか無いんじゃないかなー。政府でできるのは、生活防衛の観点では、選択肢を増やすこと(そのための規制緩和)位だと思います。

だから私の中で政府に期待することは、経済政策の比重が減って、「安全保障と外交」によりシフトしているのです。社会保障政策は重要ですが、お金というより知恵や人情がもっと必要かもしれませんね。意識の変容といってもいいです。

変容を具体的に言うと、介護サービスの利用プランを自分で書けるようになること。これを多くの国民が出来るような意識の変容が実現すると、衰退期の未来はそんなに暗くないです。むしろ希望があり、その希望は実は一人一人が握っています。そしてその希望を開花させる方法は、自分の人生の最後までと現実的に向き合うこと、なのです。