レイドウレイキの人のブログで、はづき虹映さんという人のメルマガを紹介している方がいらして、「期待」をテーマにこんな事が書いてありました。

~以下~
誰かに「期待」していると言えば聞こえは良いのですが「期待」とは物事がこうあるべきだ
と決め付け 誰かを自分の思い通りにコントロールして、自らの欲求を満たそうとしていることに
他なりません。そしてその「期待」は必ず見事に裏切られることになります。

たとえ、一時的にその「期待」通りの結果が得られたとしてもさらにエスカレートした状態を「期待」してしまうので本当の満足感を得られることは永遠にありません。そもそもあなたは、誰かの「期待」通りに動く人でしょうか?

(中略)

他人に「期待」する人は自分にも「期待」する人でどちらも「ありのままの自分」を受け容れていない人です。自分が演じる「役割り」に「期待」することで、「あるがまま」の本来の自分からはドンドン遠ざかり「期待」に十分、応えられない自分を責め、欲求不満が高まりさらにストレスが膨らみます。
~以上~

なるほど~確かにこういう人いるなと。勉強になりました。で、期待してしまうご自身を戒めるというニュアンスで、そのレイドウレイキの方は上記を紹介されていたわけですが・・・。

これって別に悪くはないよな、と思ったのですよね。人間の進化って、期待から生まれるよなと感じたわけですねぇ。というのも、「期待」をする事で、人って動くのですよね。自分を動かすし、他人をも動かす。自他への指示・命令(コマンド)が発生するわけですよね。そうすることで、改善だの改革だの開発だの開墾だのが実現するわけじゃないですか。

これ逆に、他人に期待していない人達ってのもいますよね。裏を返すと自分にも期待していないってことになるわけですが・・・動かんよねぇ、こういう人達は。少なくとも、何か現状を変えて、もっと楽しもう、向上しようという意欲は湧いてこないんじゃないかな。

そりゃ自他が「あるべき姿」であることを期待するとストレスも膨らみますが、それでいいんじゃないかと。偉人は皆、膨大なストレスを抱えて生きていたわけで、生きる!ってそういうもんじゃないのかな~と思った次第です。

大体、企業経営なんて、あるべき姿への挑戦、これに尽きますからねぇ。自他に期待しているってことは、それだけこの娑婆に適応して(毒されて?)いるってことじゃないでしょうか。

人を動かそうと思ったら期待ですよ。自分を動かすのも他人を動かすのも。私自身、よく他人の期待に乗っかって動いていますし、それでいつも良い事起こってますよ。