「あの人はあなたが好きなんじゃなくて、あなたのお金が好きなのよ」

なんて話し男女関わらず、ちょくちょく耳にします。こうした考えの根っこには、お金に限らず、外見、地位、名誉、学歴などなど外的要因をとっぱらった「私」というものが存在するという概念がありますよね。

で、この外的要因をとっぱらった「私」を好きになって欲しいという願望は男女問わずあるようです。伝聞調になってしまうのは、実はこうした願望、私にはさっぱりわかりません^^;

全部ひっくるめて「私」なんじゃないのかなぁと思うわけですよ。そしてその「私」というのは、時々刻々と変化し続けている。外的要因というのは、時間と共に変わっていくのが必然ですからね。

保有資産の増減で人が離れたり、くっついたりするとして、大いに結構ではないですか。

面白い事しかしないという信念を持つある女性は、友人関係が長続きしないそう。まず面白い友人というのは、ユニークな経験や知識を持っている人。しかしその面白い友人も、しばらく付き合うと、新鮮味は無くなってくるわな。そうすると次の面白い人を探すと(笑)

この場合、外的要因はユニークな経験や知識ですね。が、消費するとあきちゃうんだよな。それはお金も外見も何でもそう。

消費じゃない人間関係を学ぶべきだ、という話しならば、私も理解できます。これって自分自身の心構えですよね。

それに外的要因を全部とっぱらった私を好きになって欲しいという考えが、これねぇ、傲慢だなぁと思うのよ。その外的要因をとっぱらった私を、仮に魂としましょう。私は魂に価値の差をつけたくないのよね。そこに他者(外)からの「評価」の概念を一切持ち込みたくない。

例えば愛情や友情って、要は差別でしょ。特に日本人はそうなんですよ。愛情や友情の対象になる人達と、対象にならない人達との間で、優劣や待遇の差を極端につける民族なのですよね。

見知らぬ行き倒れの人を助けるかどうか、という国際比較調査で、実は日本人は最低に近くてね。中国人は逆に助けるそうなのですよ。別に中国人がえらいという話しでは無くて、赤の他人に対する価値が、日本人は非常に低いってことなのです。

線引きして、線の外にいったものに対する冷酷さは、日本人は特に顕著。だから魂レベルに線引きの考えを持ち込むような人達は、私はちょっと恐ろしいのです。魂に優劣はないぞ、こんなレベルまで消費するなよってね。

魂レベルで見たら、みんな愛しいですよ。