先日、レイドウレイキ本部の遠隔ヒーリングワークショップに出た時のこと、青木先生が、以前私と議論になって印象に残っているエピソードを話してくれました。

「愛の無いヒーリングでも、変化は起こせる。でも癒しは起きない」というような事を青木先生がおっしゃったのに対して、「愛の無い人なんていない」と私が言ったとか。

このやりとり、実は私は青木先生の言葉はすごく印象に残っているのです。なるほど~!!と腑に落ちるところがありましてね。で、自分が何を言い返したのかは、記憶が薄くて。「愛の無い人っているのでしょうか?」みたいな問いをした記憶は、何となくうっすら残っているのですが。

腑に落ちた、というのは、心当たりがあったのですよ。「あ、変化はするけど、癒しは起きないヒーリングってあるよな」って。ヒーリングエネルギーを分析すると、ハートチャクラへの対応がすっぽり抜けている類いのものです。

天と地のエネルギーにはよくつながっているので、霊的なパワーは使えます。が、天と地の間をとりもつ・調和させていく、ハート・じん(仁・人)の部分への意識がすっぽり抜け落ちてまして、パワフルなんだけど、気持ち良さがないのですよ。雷雨か灼熱か土石流のような激しいだけのヒーリングといえばいいのかな?

ただそういうヒーリングの使い手に愛が無いかというと、そんな事は無くて。これは人間みなそうだと思いますが、誰かのことは愛しているけど、誰かのことは愛していない。愛している誰かに対しても、時に愛をいだけない場面もあり、その逆もしかり。ハートチャクラのエネルギーが活性化する場面もあれば、しない場面もあるってことですよ。

「みんな愛してまーす!」という世界で生きている人はほとんど居ないという意味では、逆に「愛がある人なんているの?」とも問えますよね。

ヒーリングの面白いところのひとつは、技法として愛の型を組み込めるというところです。技法を見れば、その開発者がどんな意図で、どんな想いでこのヒーリングの方法を編み出したのか、それは読み取れます。

このヒーリング技法は愛の有る状態の時に生み出されたのか、未来のクライアントへの愛をもって考え出したかどうか、それは技法を見れば分かる人には分かるということですね。

で、型通りにやれば、ハートチャクラのエネルギーは使えます。しかし、それがヒーラーにとって心地よいかはまた別問題。後述しますが、”怖い”と感じるヒーラーもいます。

ヒーリング技法に、あえて愛の型を組み込まない、というのもひとつのアプローチです。そこはヒーラーの心根に任せると。より技法をシンプルに、ということを追求すると、ハートチャクラの部分は、天と地につながる部分よりも先に削られがちなのは確かです。

もっともシンプルに、というのは本当は建前で、ハートチャクラを使うヒーリングは、”怖い!”と感じるヒーラーはいます。前に複数の職業ヒーラーさんから言われた事ありました。「天につながるのもいいけど、クライアントのハートにつながるやり方もありますよ」→「そんなの怖い!」ってね。神様や地球にはつながりたいけど、人にはつながりたくないという。

そう言えば、激しい系のヒーラー達は、みんな怖がりだわ。あれ何なのだろう?度胸があって、すごい頼もしい人達で、怖がりというのは一見全然ピンとこないのだけど、実は何かが怖いみたい。そのため普段は威勢がいいけど、すぐに逃げちゃうのよ。短期的にはぶれないけど、中長期的にみるとぶれる。

ま、でも何を怖がっているのかよく分かりません。

激しい系のヒーリングの長所も指摘しておきましょう。例えば、ヒーリングを趣味の領域から、仕事の領域にジャンプアップする時には、ちょうど良いです。”力業”が必要な場面も人生にはありますから、そういう場面ではオススメです。

どんなヒーリング技法にも存在意義はあります。それぞれの特徴を見極めて、上手く使いこなしていけば無問題です。