ロンドンを本社にする企業の元・社長さん(日本人)の講演を聞いていたときのこと。ちょうどこの時は、私の前の講演者が元・社長さんで、私は自分が話す準備をしながら聞いていたのですが、日欧米の文化の違いがその元・社長さんのテーマでした。

その具体例が結婚の概念。英国など欧州は婚前契約というのが一般的です。結婚は契約行為であるとみなし、結婚する前に結婚に関する取り決めをして、契約書や覚書を作成するのです。婚前契約書や婚前同意書prenupと言います。米国でもあるようですね。

肝になるのが、もし離婚した時の財産分与や子供の親権について。こういう非常に重要なだけに最ももめる案件について、予め決めておくわけです。

元・社長さん曰く、「日本だと、結婚する時に離婚の話しなんて、”縁起でも無い”となりますよね。でも英国だと契約という概念が文化に非常に根付いています。ここでいう契約とは、”神との契約”なんですね」

要するに、キリスト教文化ですよね。キリスト教では、人類の歴史は神との契約に始まります。キリスト教に触れた人間にはなじみの旧約聖書と新約聖書。この聖書の頭に付く”約”とは神との契約です。勿論、さきの婚前契約は、人と人との契約ですが、契約という行為自体が非常に神聖なものと文化的にとらえられるわけです。

離婚する時は、通常お互いにまともにコミュニケーションをとることが難しいでしょうから、冷静に話し合える関係性のうちに、こうした「もしも」の時の条件について、予め決めておくのも悪くないな、と思いました。

元・社長さん、「縁起でもない、という日本の文化は、福島の原発事故にも通じる話し。もし原発が大きな事故をおこしたら、なんて、そんな縁起でも無いと、ちゃんと議論してこなかった」

確かに似ている所はあります。日本は言霊信仰の国ですから、ネガティヴなことを口にするとそれが現実になるのでは、という恐れが、どこかにあるのでしょう。どうでもいいことでは、ネガティヴな話しもわんさかでます。が、それは肝心な危機について真剣に議論することを避ける、ということですからね。