「あの子は昔の時代の子やね」

これは大正生まれのそろばんの先生が、僕の小学生時代を評して言った言葉です。先生曰く、私は現代っ子では無く、太平洋戦争前の時代に育った子のようだと。

どこをどう評してそう思われたのか、よく分かりませんが、今にして思うと私の物事の価値観としてそういう所があります。例えば結婚ひとつとってみても、私は独身ですが、独身主義者ではありません。以下のようなシチューエーションならします。

若者に思想を説く先生がいて、沢山の弟子がいたとします。私はその弟子のひとり。ある時、先生の遠い身寄りの娘さんを預かってくれないかという相談が先生のもとに来ます。娘さんはご両親を亡くされて、後見というか面倒みてやってくれないかと。そこで先生は、うちの弟子の誰かと夫婦にさせようと考え、おい君、と私に声をかけられて、こういう事情のある娘さんだが、結婚しなさいと。そうしたら私の返事は、「はい、先生。」とこうなるわけです(笑)

こと結婚に関していえば、その娘さんがどういう外見だの性格だの、そんなのは別にどうでもよくてね。これが恋愛の延長に結婚となると、正直ピンときません。私は、肉体を持った人間に対する信仰心(信じる気持ち)は特別ありませんので。

特定人物に特別な執着を持つ、というのが、どうもよく分からないのです。実際、恋愛相手なんて、あの人がダメなら次の人ところころ変わるわけですから。で、この相手でとどまるべきだと思う所で止まる。非常に理性的な行為ですよね。

恋愛感情なんて、単なる錯覚か、あるいは建前じゃないでしょうか、というわけです。あるいは優雅な趣味嗜好と言っても良いです。別の言い方をすれば、幼い頃からテレビや音楽その他で恋愛教を繰り返し繰り返し刷り込まれた結果、洗脳された人達やそうすべきだと思い込んでいる人達がいっぱいるのが現代だと思うわけで、その事は高校時代の文集にも書きました(笑)。

趣味嗜好のひとつとして恋愛結婚は理解できますが、全員が全員そうするものじゃない、というのが、私の捉え方です。同時に、先に述べた「師匠からの命令に従って結婚する」というのは、私の趣味嗜好としてはあります。別にみんなこの価値観で生きるべきだとは申しませんが、こういう価値観が多くの人に理解された時代も、そう遠く無い過去にありました。時代によって刷り込まれる(洗脳される)価値観が違う、というだけのことですよね。

そろばんの先生が私を「昔の時代の子だ」と評したのは、今にして思うと結構な慧眼だったなと思う次第です。