自分らしく生きているとき。それはあまりにも自然であるがために、何も気負いなく、てらいなく、ごくごく当たり前の日常として過ごしている。自分らしく、という概念そのものを意識することが全くないだろう。

自分らしくないとき。その不自然さから、人は鼻息荒く、目が力強く輝き、肩に力が入っている。良くも悪くも無理をしているのだ。そしてその自分らしくない言動から、ついつい「私は自分らしく生きている!」と誰も聞いていないのに宣言してしまう。本当はそうじゃない事に気がついているのだけど、わかってしまうと気持ちがなえてしまうので、あえて自分に言い聞かせ、他人にも「あなた自分らしくないね」等と指摘されないように、「これが私なのだ」と強く伝えてしまうのだ。

もっとも、そうやって肩に力が入っている自分も自分なのだから、これは私らしい、これは私らしくない、等と色分けるすること自体、本来ナンセンスなことなのだ。というより、本当のところは、有害だと言ってもいい。それは陰・影の私を作ってしまう事になるから。この私は私らしくないから、認められないとなってしまう。

認められなかった私はどこに行ってしまうのか?それは闇に葬り去れるしかない。いつか亡霊のように復活するかもしれない恐怖を抱えながら。しかし堂々巡りになってしまうかもしれないが、そんな自分も自分らしいのだろう。