タイトル通りですが、約4年ぶりにスピリチュアルカウンセリングを受けてきました!

正確に言うと、その間に1度、今は亡き目白のカフェにて、重ね煮料理教室に共に参加した友人女子数名のお付き合いで、その人達と合同で料理教室の前後にセッションを受けたことがありまして、ブログの記事にもしております。2012年5月、ゴールデンウィーク中のことでした。このカフェを運営する人達は、何ていうか、宗教団体の黎明期はこんな感じなのかもなという、神懸かりの巫女的女性(カフェの主人)とそれを支える能弁な夫、それに2人を取り巻く高揚した使命感にかられた7~8名程度の方々(20代とおぼしき若い人達が多い)の集まりでした。大きな組織・運動に育つかはわかりませんが、今でもどこかで頑張っていらっしゃるようです。

どちらも共通している事がありまして、それは神事系の人(達)ということです。あ、もう1個、昨年の春先に伊豆半島を一周する旅行ツアーに行ったことがあるのですが、これも神事系の人(芸能事務所の人)がツアーガイドで、常連参加者さん達5~6名位が非常に結束強いコミュニティを形成しておりました。

神事系というのは、要するに神懸かりです。神様からお言葉をたまわって、何かしら神様から与えられたお仕事をしている(と思い込んでいる)集団や個人を指します。サークル活動のようなものですが、発展すると、宗教団体などの組織や、集団生活を営むコミュニティになることもあります。

いわゆるスピリチュアル系の取り組みの一形態ですが、大概のスピリチュアル系の取り組みは、普通のビジネスと変わりません。商材・サービスがたまたまスピリチュアルなものだというだけで、それ以上でも以下でも無い。要するに、人に現実をちょっと忘れさせる夢を提供してくれるエンターテイメントビジネスですから、割り切って楽しむことができます。が、その割り切りを良くも悪くも許さないのが、神事系の人達です。修行系というくくりも出来るかもしれませんね。

で、今回私個人がどうしてこのようなセッションを受けたのかというと・・・まずセッションを実施してくれた人は、本物の神社の神職さんでして、某神社の跡継ぎさんなのですね。で、かなり独立的な性格なのか、取り巻きがいない。取り巻きの有無というのは実は純粋なメッセンジャーである上では大変重要な点でして、取り巻きがいると必ずぶれます。なぜなら取り巻きが望む私、取り巻きに対して見せたい私というのを、どうしても演じてしまうのが人間だからです。

神社の跡継ぎというのも実は興味を持ったポイントでして、シャーマン(巫女)的な人達の特徴として、土地付きはなかなか力が強いなと、経験上感じていたからです。特に聖域を所有する人達ですね。友達で神社の土地付きの娘さんがいるのですが、相当レベルの高い巫女体質なので、この人もそうじゃないかと予想したわけです。

うん、それで感想は・・・受けて良かったとは思いますが、受けなくても良かったとも思います^^;私は私で独自の道を切り開いていかないといけないということ、そして今の私の関心は結局のところ生活に向いているということ、その2つを確認していくことになりました。

例えばその人について2~3年修行するというのは、・・・それならば私は前述の重ね煮料理教室で講師だったサトケンさんのように、すぱっと今の自分をリセットして岡山の百姓座敷わらで修行したいな~と。生活というのは衣食住など身の回りのことで、今の自分は身の回りのことにずっと関心を寄せいているし、取り組んでいく時期なのだという事を確認したのです。

独自の道を切り開くというのも同様で、そのスピリチュアルカウンセラーさんに言われたのですが、それは「本を読むというのは他人の神の道を知ること。自分の神の道を見つけましょう」と。全くその通りなのですが、ここ数年の私はどうもそこにフォーカスできなかったと思います。少しはやってはいたのですが、もっとやりたい(やれるはず)というフラストレーションがどこかにあったのですね。じゃやればいいじゃん、ということですが、やる気がどうも起きなかったのです。

もうちょっと腹を決めて大きめのことをやっていこう!と、そう決意した次第です。