ブログでBL(Boy's Love)作品が好きなことを語っている人がいたので便乗。私も好きなのですよ~。吉田秋生さんの「BANANA FISH」「ラヴァーズ・キス」は別にBLだけの内容では無く、様々な愛の形が出てきますが、いいですねぇ~。特に「BANANA FISH」の主人公男子2人の関係は、決して友情の域を越えないものですが、BL好きにも大変人気のある作品です。

萩尾望都もよく読みましたし、勿論、風と木の詩も読んでいます。うちのブログで最も人気記事らしい、日出処の天子もそうですね。

ただ、皆さん少女漫画界の大御所ばかり。「もっとも少女漫画に才能が集まった時期」の人達なのですよ。純文学ですと、やはり三島由紀夫。元祖BLですが(笑)、当然読みましたよ~。

で、好きな作品を挙げていくと、結果的にBLものが多いのは、考えますに、愛を純粋に描こうと思ったら性別が邪魔なのが一因だと思います。性別があることで、余計な要素がいっぱい入ってきますからねぇ。上記作品に出てくるBOY達も、少女漫画(作者も女性)の場合、男でも女でも無い、妖精的な何かです。あんな男はいない、と断言できる存在ばかり^^

三島由紀夫は本人が同性愛者でしたから、表現もリアルです。結局、同性愛者の肉感的な愛は、少女漫画家(女性作者)にはどうしても想像がおよばなくて書けないのですよ(書きたくもない?)。だから、妖精的な何かになってしまう。それがかえって良いのでしょうね。

なぜなら現代日本社会は、神を喪失した社会だからです。宗教の神ではありません。武家社会では「主君」、貴族社会や大日本帝国では「天皇陛下」、さらに長きにわたる日本の家族制度における「家」。これらに過去の日本人は、自分の理想を反映してきました。それが太平洋戦争終了後に無くなり、代わって出てきたのが、恋愛の相手です。現代日本社会の神が、恋の相手、家族の誰か(伴侶や子供、親)、あるいは場合によっては友人のような身近な存在であることは、流行歌を見れば明らかです。

勿論、身近な存在に神を求めても、それは無理があります。創作の世界であれば可能ですが、現実と照らし合わせて、「こんなの無いよ」と冷める気持ちになることもあるでしょう。身近でいて、それでいて照らし合わせる現実も無い。そんな矛盾する2つの要素に上手く折り合いをつけたのが、少女漫画におけるBLではないでしょうか。

上手くまとまりましたね^^