先日、友人のホームページに「菩薩行と生業について教えて頂きました。」というコラムが掲載され、非常に感銘を受けました。

特に感銘を受けた文章を、そのまま掲載します。

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以前、年商200億の元社長だった高僧にお会いする機会があり、ビジネスのアドバイスを頂いたことがあったそうです。

田中社長も、自分が出版したい本はテクニックやノウハウじゃなく、読者が本質に目覚められる本当の良書だけを作りたい、

しかし自分にも生活がある、良書が売れるとは限らない、売れる本になるためには、売れるためのキャッチフレーズが必要で、そういうのも苦しいけれど、やはり割り切りが大事なのでしょうか?

と、質問してみたそうなのです。

すると、高僧から返ってきた答えは、誰かを幸せにしてあげたい、世の中を良くしていきたい想いは、「菩薩の心」だそうで。

「菩薩の心」。

つまり、

何を菩薩の心を金儲けにしようとしとんねや。そりゃあんた、苦しゅうなって当然や。

というわけで。

菩薩行は、お金儲けなど考えずにひたすらやっていけばいい。

そのかわり、わたしたちは娑婆に生きていますので、娑婆には「生業」が必要です。業を生きると書いて、生業。生きるための行です。

(中略)

なんの利益にもならないかもしれなくても、それがわたしの菩薩行(喜び)なら、これからも続けていけばいい。

振り返ってみると不思議なのですが、自分の菩薩行をひたむきに続けていると、どういうわけか生業もスムーズに動き出す。

そういう経験は、これまで何度もありましたが、出し惜しみしないほうがいい本当の意味がわかって、ものすごくスッキリしました。

自分の好きなことだけしてワクワクしてたって楽しいのは自分だけです。生業は、生業なんだから、お客様にとことん喜んで頂く。そこで得たお金は、喜んで菩薩行に使わせて頂く。

そうやって循環していく。
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以上で引用終わりです。

これ、文章の内容も素晴らしいですが、この友人のこと、日々どんな行動をされているのか多少知っているだけに、非常に説得力がありました。何の見返りも無く奉仕する姿をよく見ていて、私自身その恩恵にあずかる事があるだけに、「なんで?」と聞きたくなることもありました。でもそういう「ありきたり」の質問をしてもすごい陳腐だなと思ってたずねなかったのですね。

菩薩行と生業の循環、そうだよなと納得しました。自己犠牲じゃないのですよ、菩薩行って。無償の奉仕なのだけど、やりたくてやっていること。それが結果として、確かにお金や名誉など現実的な利益にもつながるのです。でもそれは直接的な目に見える因果関係があるわけではありません。

なんでこの人はこんな何の得にもならないことを・・・という事を地道にしていると、大いに報酬がかえってくるのが人生の妙味ですよね^^ 私の場合は菩薩行といっても、本当に地道な雑用をやるケースも大いにあります。なんでそんな裏方な事をやるの?と。

これもねぇ、やっぱり良いことあるのですよね。自分が目立つ事ばかり考えていると、たとえ優秀な人でも、いつまでたっても何かが上手くいかない。面白いですよねぇ~

これも理屈じゃないですよ。むしろ世界は理不尽に満ちている。損して得とれ、なんて格言がありますが、それは世界が理不尽だからこそ、損することで得するのだと私は思うのです。