風火水土といえば自然の四大元素。それと宮崎駿監督の映画がどう関連するのかという事ですが、皮切りは「もののけ姫」。風の谷のナウシカではありません^^ 

もののけ姫と言えば、洋画も含めて日本国内で公開された映画で最もヒットした映画になりました。以降、宮崎駿監督のアニメーションは、国民的な映画という位置づけになりました。昔風に言えば、巨人大鵬卵焼きのレベルです。

で、いきなり私が言いたいことの結論から言いますと、もののけ姫が”土”、ハウルの動く城が”火”、崖の上のポニョが”水”、風立ちぬが”風”、そして千と千尋の神隠しがこれらをつなぐ”人”(+)。千とは「一」と「人」が合わさってできた漢字です。

もののけ姫と言えば、シシ神さま(ダイダラボッチ)やモロに代表される荒ぶる日本の神たちの物語です。それが”土”すなわち大地。日本の地霊・魂、すなわち生命エネルギーであり、それを擬人化したのが荒ぶる神達。基本的には、対立する人間側では無く、荒ぶる神達の立場に立った映画でした。

次に公開されたのが千と千尋。桁違いの興行収入をたたき出した国民的映画の中の国民的映画ですが、先ほどの千の意味が示すように、土(大地)から十字に伸びていくわけです。十のてっぺんが天、左が火、右が水、底が土。要するに風・火・水・土のつなぎ役になるわけですが、そのつなぎ役が「人(ヒト)」なわけです。映画の主人公である千尋(千)は、正に異形の神々達のつなぎ役になりました。

で、火ですね。ハウルの動く城の動力源は、カルシファーと呼ばれる火の悪魔です。主人公のハウルは、カルシファーと契約して強い魔力を手に入れました。火はこの世の外面的な形を変える力の象徴です。

そして水。崖の上のポニョは大橋のぞみさんが歌う可愛らしい主題歌が話題になったので、小さな子供向け映画だと思われた方も多かったでしょうが、表面的には子供向け、でも中身は全然違いましたよね^^;宮崎駿って性格悪いわ絶対~と思いました・笑

この映画の評論は非常に秀逸なものが既にあります。例えば
Yahoo!知恵袋に記載のものや、占い師AYAさんのブログ記事「崖の上のポニョとカタストロフィ」です。

評論を要約すると、水は無意識(潜在意識)、海は集合無意識、宗介らのいる地上世界が顕在意識、そしてポニョが無意識(潜在意識)から何かの拍子に顕在意識に浮かび上がってきた存在。物語では、海にいるポニョが、地上の宗介と一緒にいたくて、大洪水を起こして地上に出てきますが、これは心理的なカタルシスを描いているというわけです。

なぜ潜在意識から顕在意識に来るのに大洪水が必要かというと、それは潜在意識の中に閉じ込めておくための心理的な抑圧が働いているからです。その抑圧を突破するためには大規模な浄化が必要です。

長くなりましたが、水は内面世界を変化させる力の象徴なのです。

そして最後に風立ちぬの風。風を言い換えれば天。すなわち運命の力ですね。面白いのは前4作は人間だけでなく神(悪魔)が出てきましたが、今回は人間だけ(笑)ただただ美しい映画。岡田斗司夫さん曰く、残酷な美しさ。主人公は人間ですが、人間味は全くありません。ただ美しいものに興味があるだけの存在。美しくないものは、この映画では視界に入ってきません。でも描かれていないだけで、存在していることは理解できます。

例えば零戦の試作機の飛行試験は成功しますが、これは主人公の奥様である菜穂子の死をあらわしています。それは何となく観客に伝わりますが、しかし気がつかない人は気がつかない。結核に冒されてサナトリウムで療養していた菜穂子が、なぜ突然出てきて主人公と一緒に住み出したのか。これも種がわかれば、美しいとは残酷なことでもあるのだという事が理解できますが、その解説は映画ではほとんど描かれません。

映画の中で「君はピラミッドのある世界と無い世界、どちらが好きか?」と主人公が夢の中で問われるシーンがありますが、この映画はピラミッドのある世界を選択しており、そのピラミッドの頂点、すなわち天上界の話なのです。映画の登場人物は人間しか居ないのだけど、でも基本的にはピラミッドの上に立つ天上の神々達の話。

夢を追えない地上の存在は、存在していることだけは描かれるけれども、それ以上には描かれないし、天上と地上の間でのコミュニケーションは、どちらかが働きかけてもただスルーされます(例:主人公の妹が主人公や菜穂子と親しく接しようとしても実質スルー。主人公が、赤子を背負った少女にシベリアをあげようとしても拒絶)

まとめますと、風立ちぬは「風」、すなわち天上の美、運命の力、創造のエネルギーを描いた作品だという解釈です。

これら5つの作品は、国民的映画として多くの日本人の目に触れました。大きな力が働いていたのだと感じます。日本という生命エネルギーの誕生、人間の誕生、火と水を手に入れた人間、そして命を運ぶ風が立った。最後が風だったということは、日本人はこれから創造的な人生を生きよ!というメッセージでしょうか。

宮崎駿監督は風立ちぬ公開後に長編映画については引退宣言をされましたが、上記のような解釈をしている私ですから、大きな区切りをつけたことに納得です。もし次の長編があるとしたら?原点に戻ってナウシカの続きをやるしか無いんじゃないかな~でも、それは宮崎駿監督自身は絶対やりたくないそうなので、やっぱりこれで終わりなのでしょう。