いや、ふと思った単なるつぶやきですが、たまに「私、いじめられてました。」てな告白、芸能人とか、あるいはインターネットのブログなどで見かけますよね。

しかし「私、いじめてました。」ていう告白、見聞きしたことないな~と。いや人数からいったら、いじめられている人よりも、いじめている人の方が数倍は多いわけでしょ。だったら、いじめていた告白を耳にしたり目にしたりする機会も、数倍多くても良いはずなんですよ。

これって、いじめた記憶は薄れやすいということなのか、はたまた変わらず卑怯な人間であり続けているということなのか、どういうことなのでしょうねぇ。

こういうのって、いつかツケを払うことになるのだろうか?・・・ん~、少なくとも生きている内は、ツケを払うことになる人も稀にいるけれども、払わないですむたちの方が圧倒的に多いような気はするな。

じゃ死んでからは??・・・閻魔大王はいるのかっちゅーことだな。結局、懺悔ってのは生きている内にした方が楽だと、個人的には思いますよ。

よく「許す」っていうワーク、心理系とかスピ系であるけれども、許せない過去の記憶を許していくことで、己の過去を受容する範囲を拡大して、より充実した人生にしていくというアプローチですね。

それはそれで良いとして、「許される」っちゅーのもあるんじゃないかと。要するに、懺悔する。キリスト教会の懺悔で知られるように、かなり伝統的なアプローチですよね。

多分ねぇ、誰かに許してもらわないといけないことって人間いっぱいあるんじゃないでしょうか。すいませんでしたと。申し訳なかったことって、何十年と経った昔のことでも、私にもありますよ~。といって、タイムマシンで仮にその昔に戻ったとしても、やっぱり同じことをやるけれど、それでも多少はフォローできたはずだよなぁと。