今日はAKB48の総選挙だそうですね。すっかりビッグイベントになったようで、驚きといえば驚き。僕はTV番組「さしこのくせに」以来、指原莉乃さんには注目していましたが、なかなか人気者になられたようですね。


それはそうと、今日も芸能ネタということで、ちょっと古いニュースですが、AKBのメンバーで、男性といる写真が撮られて坊主頭になって謝罪された峯岸さんという方がいました。坊主頭での謝罪動画をYouTubeにアップされて当時は非常に話題になりましたね。僕もYouTubeで見ましたが、見たのは、動画タイトルと並んで映る画像部分だけで、その画像は半泣き坊主頭の峯岸さんの上半身でした。中身は冒頭数秒程度しか見ておりません。


坊主になるというのは、男社会の伝統的な責任の取り方ですよねぇ。それを女の子がやったわけですから、驚きと共に、かなりドン引きした方も多かったのではないでしょうか。私はドン引きしました。理屈じゃないです。ただただ痛々しかった。


おそらく峯岸さんのケースの場合、坊主になるというのは、責任を取ってそうしたわけでは無く、責任を逃れたくてそうしたのだと解釈できます。AKBはどうも恋愛禁止で、ばれるとメンバーを辞める必要があるそうですから、そうだとするならば、辞めるのが責任の取り方でしょう。しかし辞めたくない。だから坊主にしたから許してくださいというのでは、これは典型的な責任逃れでしょう。


上記のような場合、これまでの男社会で通常どんな手順を踏むかというと、まず上司など、より上位の責任ある人に辞表を持って行きます。そして「申し訳ありませんが、報道の通りです。」と述べて、辞表を渡します。すると上司はこう来るわけですね。「預かっておく」 進退はお任せするわけです。その後は、峯岸さんのような特段悪いことをしたわけでも無いケースであれば、おおむね情状酌量されて、多少ペナルティは受けつつも、その内復活するという流れになるわけです。


が、坊主頭になったのは・・・これはショックというか、本人だけでなく、組織全体を揺るがしかねないような事態だったと思います。「私は責任を取りたく無い!見逃してくれ!」とあぁも声高に言われては、「気持ちはわかるけどやりすぎ・・・」ってね。おそらく組織防衛を最善に考えるならば、あそこまでやってしまった峯岸さんは切った方が良かったでしょう。


それを切らなかったのは、2つの理由があると思います。ひとつは情に流された。切るにはしのびない人なのでしょう。もうひとつ恋愛禁止ルールは、もう実質止めても良いという判断。あそこまで世間に対して露骨に責任逃れをアピールした人を許してしまっては、たとえ有名無実でもルールの意味がなくなってしまいます。それでも見逃したということは、もうこのルールは実質撤廃するということなのでしょう。


それにしても、あそこまで堂々と、責任取っているフリで実は責任回避する行動が世に出てきた、というのは、何とも興味深いです。20歳位の方を責めるつもりは勿論ありません。彼女が直接間接的に見てきた年上・年輩の人達の責任の取り方をデフォルメすると、アレなのでしょう。要するに、責任は徹底して露骨に絶対に回避する。なぜならその方が得するから、いや得するというよりそうしないと生き残れないというのが、今の日本人・日本社会の縮図ということなのだと思います。


もし仮に彼女がきちんと責任を取ってAKBを辞めていたとしたら、彼女の芸能人生はThe Endだったでしょう。誰も拾ってくれる人はいません。地獄に落ちるのがわかっていて、それですっぱり辞められる人はなかなか居ない。テレビタレントは、しばらく出演しない時期が続いたら、そこから復帰するのは極めて困難ですからね。


結局、きちんと責任を取れる人が出てくる社会というのは、責任取った人を評価・救済する人が周りにいてこそ。今は残念ながら、そんな立派な態度をとった人達を立派だと評価して支える人はほとんど居なくなってしまったということではないでしょうか。