相変わらず気候は寒いですねぇ。私は仕事する気になりませんが(笑)皆さんいかがですか。


さて、今日は人気の無い政治ネタを書きます。電車の中づり広告やマスコミは、今年夏の参議院選を「(本当の)決戦の場」「関ヶ原」みたいにあおっていますが、先日の衆議院選や近年の参議院選よりもかなり投票率は低下するでしょうね。とにかく関心が薄れました。


なぜか?理由は簡単。「自分を変えたい!」という変革願望の投影先として政治が機能しなくなったからです。今回の選挙はそうした自己の変革願望を政治に投影していた人達にとって、もう思いだしくも無い記憶になったでしょう。


とはいえ今度の参議院選挙では、議論しやすい政治テーマはあるんですよ。消費税と原発です。


今年9月は本当に消費税を上げるかどうか判断する時期なんです。去年マスコミは、三党合意で消費税増税が決まったことだけ報じましたが、その前提に「景気回復(経済成長)」があることをろくに報じてきませんでした。が、三党の合意事項に入っているんです。


参議院選挙のある7月は「本当に消費税を上げるの?!」を問うには絶好の時期なんですねぇ。なぜなら上げるかどうか判断するための具体的材料として、1-3月期&4-6月期の経済指標があるからです。


原発の場合は、原子力規制委員会が策定する新しい安全基準が7月までに出て来ますね。それをもとに「○○原発は再稼働するの?しないの?」という議論が出来るわけです。そもそも、この安全基準じゃダメだ!という議論もできるでしょうね。何せ議論するための具体的な材料があるわけですから。


ということで、おそらく実のある議論がしやすい時期なのですが、マスコミや世論全体の傾向としては、ほとんど盛り上がらないと思います。なぜならどういう結果に転んでも、自己の変化願望を満たすようなカタルシス(抑圧された感情の解放)は起こらないからです。


逆にいえば、ここ20年の政治は、そうしたカタルシスを満たす、あるいは満たせるかもしれないという希望を持たせるような政治だったということです。


以上前置きが長くなりましたが、私は先月「マジックナンバー16と衆議院選挙 」という記事をブログで書きました。今回の選挙日程は全て16という数字がからんでおり、そして16の意味は、タロットカードでは「(バベルの塔の)崩壊」、すなわちコツコツと積み上げてきた王国が破壊され終焉をむかえるのだという内容でした。


で終わってみて、うん・・・本当に終焉しているものがありましたね。民主党政権は終わりましたがそんな小さな話では無く。1990年頃から始まった政治改革のムーブメントが終焉をむかえていました。そしてその根底にあったのが、既に述べましたね。自己の変革願望の投影先としての政治の終焉です。


政治改革のムーブメントとは、端的にいえば二大政党制の実現であり、自民党以外の政権政党をつくることです。が、二大政党制を目指すなんて、ただの口実。政治をひっくり変えして、カタルシス衝動を満たしたい国民意識の現れが、政治改革のムーブメントでした。しかし民主党はもうそのムーブメントの担い手にはなれないでしょう。


今回民主党が比例で得た票数は約960万票。2005年に郵政選挙で惨敗した時の比例得票数は約2100万票。同じく敗北した2010年の参議院選挙での比例得票数は約1800万票。


この得票数からわかることは、民主党にとって今回の敗北はただの負けでは無く、二大政党の一画としての民主党は終わったということです。民主党に議員や支持者の多くが託したものは、自民党に代わる政権政党になることでした。ということは、つまり民主党は使命を終えたということです。


もうひとつ民主党を創設した鳩山由紀夫さんが引退したことも、使命を終えたことと関係しています。鳩山由紀夫さん、政界一の国民的な嫌われ者になってしまいましたが、彼は民主党の魂でした。何せ創設者ですからね。その彼が国民から否定され、民主党からも実質的に追い出されたことは、やはり民主党は使命を終えたと判断せざるをえないでしょう。党の魂が無くなったわけですから。彼の魂を受け継ぐ人がいれば話は別ですが、そんな党から敬意を払われた引退では無かったですからね。


維新の会(+みんなの党)があるじゃないか、と思う人もいるでしょう。確かにここは二大政党の一角に育つ潜在的な可能性はあります。でも彼らじゃ20年にわたる政治改革ムーブメントの受け皿にはならないんですよ。


橋下大阪市長、松井大阪府知事、渡辺喜美みんなの党代表は、いずれも20年来の政治改革ムーブメントの流れで出てきた人達では無いからです。彼らは皆、小泉純一郎氏に端を発する「自民党的ムーブメント」の人達です。現在また総理になった安倍さんもそのムーブメントの主役の一人。橋下さんのアイドルが小泉さんなら、松井さんのアイドルであり渡辺さんの恩人が安倍さんですからねぇ。


前述のように政治改革ムーブメントの目的は、「自民党以外の」政権政党でした。しかし小泉純一郎も安倍総理も、ザ・自民党。お二人の政治人生はずっと自民党です。すなわち「政治改革ムーブメント」に対峙してきた人達でした。維新の会の代表である石原慎太郎さんも「政治改革ムーブメント」に対峙してきた側の人でしたね。


小泉純一郎さんも安倍総理も石原慎太郎さんも、あくまで権力者や持てる者の内側にずっと居続けている人達。すなわちインサイダーです。根っこが保守なんですね。体制改革への意思はあっても、それはあくまで現在の国家という体制を守りたいから。つまり持続可能性のある国家にしたいがための改革なんです。だから革命では決してないんですよ。


が、政治改革ムーブメントに己の(無意識的)願望を託した人々は、そうではありません。彼らの意識の底流には、体制破壊がありました。こんな国(社会)、壊してしまえ!ということです。きれいに言えば、革命志向です。破壊と創造なんて言葉もありますね。でも破壊志向はあっても創造志向はありません。なぜでしょうか。


それは現代日本における革命志向の本質は、自分自身を含めた世界の諸々が気に入らなくて、根底からひっくり返って欲しいという「他者依存的」願望だからです。


「何か大きな自然災害でも起きて、世の中が無茶苦茶になってくれないかな。そうすれば何かが変わるかも・・・」みたいな気持ちですね。もしもそうなったら私も死ぬじゃないか!とは想像しないし、周りが沢山死ぬのならば私も一緒に死のうという所属意識も無いんですね。


ここ20年の日本政治あるいは日本社会が停滞した、見えない本質的原因は、他者依存的な変革願望という、国民意識に巣食った病巣です。今回の選挙結果は、この病巣を、国会から手術のように切除したことになりました。悪者扱いしてしまうのも申し訳ないですが、あえて病巣という表現を使ったのは、弱者の叫びとはまた別モノだからです。この国民意識は、決して客観的な意味での不幸な人達の声ばかりでは無いですよ。いわゆる貧困層の意識とはあまり重ならないでしょう。少なくともホームレスの声では無い。私はいわゆるドヤ街でも寝泊まりしていたことがあり、そこで働く友人もいますが・・・。


政治や社会、企業などの未熟や失敗により出てきた声ならば、耳を傾けるべきです。しかし、たとえどんな不幸や理不尽が原因であろうと、世の中の破滅を望む声には、少なくとも「国民の暮らしを守る」ことが使命の政治家ならば、これっぽっちも耳を傾けてはダメです。


政治や社会変革に興味を持つのは結構なこと。でも壊してやろう、壊れてもいいや、という意識で多くの人に関わられては、この国は破滅します。


その依存的に破壊的革命を望む国民の意識が、試行錯誤しながら築き上げてきた「塔」が、今回、神の怒りをかって?(タロットではそういうイメージ)、破壊されてしまったということです。


また一から作り直し?うん、それはあるかもしれませんが、維新の会やみんなの党の支持者って、私の周りにも割といますが、20年来の政治改革ムーブメントの人達とは随分と意識が違いますよ。基本的に建設的な人が多いです。破壊よりも創造に興味があるタイプです。逆に破壊に興味が無くて、そこは彼らより年上の人達(50代~60代)から見ると物足りないみたいですね。だって体制と戦わないわけですから。


例えば維新の会の橋下徹さんも、戦闘的なイメージはありますが、同時に国会の総理指名投票で、いきなり安倍自民党総裁に投票しようと言いだしますからね。それこそ一個でも法案を通したい(建設したい)タイプでしょ。そのためならば戦うという。法案を阻止することに生き甲斐を感じる反体制志向の人とは真逆ですよ。


そんな彼が依存的で破壊的な革命衝動の受け皿になるとは、とても思えません。元々自民党の推薦で府知事になった人ですしね。体制とは反抗する対象では無く、利用する対象であるという意味で、彼は自民党的な現実主義者じゃないでしょうか。


これは憶測ですが、彼の”維新”の根っこにあるのは、「このまんまの日本じゃ、オレの家族も食っていけなくなるかも!」という危機感なんじゃないのかな。彼は英語ができないから、「日本がダメなら、見捨てて外国に行けばいーじゃん」という大前研一的発想にならない(なれない)んですよね。平成維新をうたった大前研一が、政治家になるのに失敗した原因のひとつはそこでしょうよ。