日本の歴史の授業では近現代史はほとんど教えられませんが、教えられない大事件のひとつは、韓国との間に起こった竹島紛争。以下、淡々と事実のみ。


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1952年(昭和27年)1月18日、大韓民国大統領李承晩が、竹島は自国の支配下にあると一方的に宣言し、同時に近海を含む李承晩ラインを設定。


李承晩ラインの宣言から1965年(昭和40年)の日韓基本条約締結までに韓国軍は、ライン越境を理由に日本漁船328隻を拿捕し、日本人44人を死傷(うち5人が死亡)させ、3,929人を抑留した。韓国側からの海上保安庁巡視船への銃撃等の事件は15件におよび、16隻が攻撃された。


1953年(昭和28年)1月12日、韓国政府が「李承晩ライン」内に出漁した日本漁船の徹底拿捕して以後、日本漁船の拿捕や銃撃事件が相次ぎ、日本の漁業従事者に死傷者が多数出る事態となった。同年2月4日には第一大邦丸事件が発生した。済州島付近で同船の漁労長が韓国側に銃撃を受け死亡。また日本人漁師の瀬戸重次郎が殺害されている。


同年4月20日には韓国の独島義勇守備隊が、竹島に初めて駐屯。6月24日、日本の水産高校の船舶が独島義勇軍守備隊に拿捕される。6月27日に日本の海上保安庁と島根県が竹島調査を行い、「日本島根県隠岐郡五箇村」の領土標識を建て、竹島に住み着いていた韓国の漁民6名を退去させた。すると、7月12日に竹島に上陸していた韓国の獨島守備隊が日本の海上保安庁巡視船「へくら」に90mの距離から機関銃弾200発を撃ち込む事件が起きる。


以後、韓国は竹島の武装化を進め、日本の艦船の接近を認めていない。日本政府はこの韓国による竹島を武装化する動きに抗議しているが、韓国側は「内政干渉」として退けている。

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今、同種のことが起こったら大事件ですよね。そんな大事件でも教科書にはなぜか書かれない不思議。竹島の領土問題については教科書でも多少触れられてます。しかし第2次大戦後にこんな紛争が起こったことについては全く触れられないのは、何とも不思議な話です。


歴史好きで教科書の年表丸暗記が大の得意だった私でも、上記の竹島紛争について知ったのは、ほんの数年前の話。年表に書いてないことまでは覚えられないというわけですね(苦笑)