3つ前の記事チャネリングのつながり先 で、久しぶりにチャネリングをテーマに記事を書きました。そちらの記事では最後に、「もうひとつ伝えたいことがある。こっちはちょっと怖い話かも」と締めました。


そのもうひとつ伝えたいこととは。それは”念のキャッチ”です。人間(自他)の念、あるいはよくわからない思念。昨日参加したワークショップの言葉を借りれば、物の怪の念かもしれません。


チャネリングは受動的なものですが、実際のところ何を受信するか、わかったものではありません。チャネラーは、内面的には顕在意識と潜在意識の境界線がゆるく、外面的には物質界とアストラル界(幽界)の境界線がゆるい存在です。


そうすると、自分の秘めた内面のドロドロが出て来やすくなるだけでなく、他者(人間とは限らないが)の思念もキャッチしやすくなります。チャネラーなんて、好き好んでなるものじゃないということですね^^


で、この他者の思念とは、他者の願望(欲望)と言い換えても、あまり問題はありません。再び昨日のワークショップの言葉を借りれば、邪念でも良いでしょう。


チャネリングメッセージを受け取ると、「神や天使の声」を聴いたとか、あるいは己の内面から発する「魂やハイヤーセルフの声」を聴いたなど、神聖なものととらえがちです。しかし実際は、あなたの知人のAさんが、Aさんの願望を実現するためにあなたにして欲しいことを、メッセージとして受け取っているかもしれないわけです。あなたの望むこととは異なりますから、実行に移すには少々ためらいがあるでしょう。


あるいは、魔が差しているということもあります。財布が目に入って、つい懐に入れたとかですね。こういうのも、何らかの思念をキャッチして、衝動にかられるわけです。


こうしたことは、己の意識を高く保っていれば(光の存在でいれば)大丈夫、と力強く語ってくれる人々もいるでしょうが、実際のところなかなか難しいものです。なぜなら私達は人間だからです。


ヒーリングや様々なスピリチュアルワークで、意識レベルを高くすることは出来なくもありません。しかしそれは振り幅が広くなったというだけのこと。たとえて言えば、山の頂上を体験したようなものです。ずっと頂上で生活し続けるのでしょうか?普段は平地で暮らしていますね。


人間は、光と闇のバランスで生きています。私は光だけだ!と思いこんでいると、魔が差した時に、魔だと気づくことができません。また、実は魔や邪が差しやすくもなります。光と闇の戦いという構図が作りやすいためです。しかし光と闇が共存していれば、闇が光に侵入を試みることも無いのです。


人の念はおそろしいですよ~^^ 「何日にどこどこへ行け!」と強烈なメッセージがやたら降りて来て、「何だい何だい、オイラはそんなことしたくないやい」と思うのだけど、○○神だの△△神だの色んな存在が強烈に押してくるみたいな、ね。そうしたら、信心深い(?)人は、行っちゃいますよね。


これは、他人の邪念を、霊的存在(物の怪?)が後押ししているわけです。願望実現というのは、基本コレです。他人を思い通りに動かすことで、己の欲しいものを引き寄せるという。お店を開いたら、クライアントさんを連れて来てくれるとかも、こういうパターンあります。客を引き寄せる念力の強烈な広告ページ、いっぱいありますよね(笑)


たまに「スピリチュアル・ジプシー」とも言うべく、色んな人の沢山のセッションに通う人達がいますが、こういう人達はチャネラーみたいなものですから、物質界とアストラル界(幽界)の境界線がゆるいわけです。だからセッションをやる人達の、「来て来て~念」をキャッチしやすい体質にもなっておられるわけですな。別に被害者ではありません。色々フラフラし続けることで、自分を保っているのでしょうしね。だって潜在意識からドロドロが沢山出て来ますからね。自分だけで、あるいは特定のヒーラーだけで処理するのは中々大変でしょう。


一番怖いのは、自分の邪念です。例えば老若男女に共通しているのは、自分が失敗したと感ずる時の対処法です。半分位の人は、自ら被害を3倍にも4倍にも拡大してしまいます。失敗を認めて謝罪すればすむ話を、他に過大に責任転嫁しようとしたり、大きく動揺したりして、被害をさらにでかくしてしまうわけです。自分の中から出てくる邪念というか、気持ちや感情を抑えきれないわけですね。


自分の邪念は自分では把握するのが難しいです。他人を見ているとよくわかるので、他人のフリみて我がフリ直せです。