『プロの聞き手であるカウンセラーは、自分のことは話しません。』


(引用元:「プロカウンセラーの技術」東山紘久・著、創元社)


ここで言うカウンセラーとは、臨床心理士のことです。著者の東山さんは、京都大学で学ばれ、京都大学の副学長まで務められた臨床心理士。カール・ロジャース流の傾聴を基本としたカウンセリング技術の権威です。


他人の心の悩みに向き合うカウンセラーが、カウンセリング中に自分のことを話さない理由は2つあるとのこと。


ひとつは単純で、クライアントの話す時間を確保するということ。人間の感覚として、聞いている時間は長く感じられ、自分が話している時間は短く感じられるので、自分が話すと、本人が思うよりも長い間話をしがちになります。「ついうっかり長話」に気を付けましょうね、ということですね。


そしてもうひとつは、自分の個人的な話でクライアントに直接影響を与えることを、極力避けたいから。なぜ避けたいか。それは心の作業に付き合うカウンセラーは、クライアントに対してカリスマ的になる危険が常にあるからです。


で、カリスマ化の何が危険か?ここから先は、大半は私の補足です。世間をにぎわすような犯罪的行為に手をそめなければ、少なくとも社会的には別段問題無いはずです。それでもカリスマ性を帯びるのを避けるのは、「偽の問題解決」が生じるからです。


カウンセラーが、自身の心の問題を解決した体験談を語ったとします。私も苦労したんだと。でも頑張って今があるんだと。そうするとクライアントも、自身の心の問題が解決したような錯覚におちいるのです。というのも、カリスマ化現象とは、要するに、私(クライアント)とあなた(クライアントにとってカリスマ化したカウンセラー)の同一視だからです。


例えば、映画俳優の高倉健がヤクザ映画で大ヒットを飛ばしていた頃、男性客は、まるで自分が男の中の男としてスクリーンで活躍する高倉健になったかのような気分で映画館を出てきたそうです。そういうことは、映画やドラマ、小説などエンターティメント作品で多くの方が日常的に体験していることです。


カリスマ化現象とはそれと同じです。普段、理想と程遠い自分の姿や状況にストレスを抱えていたとしても、映画や小説のキャラクターと自分を重ね合わせることで、勇気づけられたり、癒されたり、スカッとしたりします。元気にその日を過ごすための糧になります。有名人の自伝も同じような効果がありますね。


しかしカウンセラーが、映画の中の高倉健のようにキャラクター化したり、自伝を語ってはいけません。



なぜなら、現実のクライアントの状況が変化したわけでは勿論無いからです。大学の臨床心理士系カウンセラーの場合、これはまずいわけです。そして仮に良くなったとしても、「カウンセラーの魅力で解決しました!」というのは、心理学研究の成果になりません。大学の臨床心理士系カウンセラーの場合、心理学研究の成果物をあげることが、出世に直接関係するのですが、カリスマ化して上手くいった場合、「それはカウンセラーの属人性でしょ?」で片付けられて、成果になりません。


心理学研究では、「一定のレベルのカウンセラーならば、誰がやっても良い結果が出せるやり方」が成果になります。つまり「私だから上手くいった!」はNGなのです。


要は大学の臨床心理士系カウンセラーの場合、カリスマ化するメリットが無いのです。


ところがカウンセラー(あるいはヒーラーでも良いですが)として自営している人の場合、「私だから上手くいった!」はNGどころか、もっともアピールすべき点のひとつです。「○○さんは特別!」と一定数以上のクライアントに思ってもらえないと、商売になりません。つまり「プロ」としてやっていけないということです。


自営するカウンセラーにとって、カリスマ化するメリットは大きいのです。東山さんも「物を売るより、自分を売れ」というセールスマンの信条をカリスマ的な例として示しましたが、正に自分を売って、クライアントから「この人なら・・・!」と深く信頼を寄せてもらうことが大切です。心や精神という内側の、自分自身にとっては聖域とも呼べる部分に触れさせる相手だからこそ、「特別な人じゃないといけない」と思うのは、自然な心情でしょう。


だから私はカリスマ化がいけない、というつもりは全くありません。


よく「金持ちになるための本」がベストセラー化しますが、この手の本を好きな人は低所得者が多いというのもよく知られた事実。この手の本を読むと、事実かどうかよくわからない「成功者」の体験談が沢山出てきますが、読むと元気になります。金持ちになったような、成功したような気分を味わうわけですね。その偽の問題解決で気持ちが盛り上がるならば、エンターティメント作品として、1000円以上の価値は大いにあるでしょう。それで本当に金持ちになったか?成功したか?なんて、問うだけ野暮な話です。


これもよく知られた話ですが、「金持ち本」「成功本」「幸せ本」、あるいはスピリチュアルな本でもよく出てくる、ポジティヴ思考は、社会問題を隠すための隠れ蓑ですから。ポジティヴ思考は、要するに全部「自分次第」「自己責任」でしょ?裏のメッセージは、「著者(カリスマ)の責任なんてない」「社会の責任なんて無い」ということです。現実には社会的矛盾や社会問題、あるいは著者の問題行動なんて沢山あります。しかしポジティヴ思考にはまると、そんなことに意識を向けなくなります。


一般的に低所得者層は、社会に不満を持ち、「反体制派運動」のようなものに共鳴しやすいはずです。少なくとも過去の歴史はそうでした。しかし上記のような「金持ち本」「成功本」などを読んでポジティヴ思考に共鳴することによって、社会への不満や関心が薄れ、結果、社会を不安定化するような反体制的運動に走ることも無くなるわけです。


1億総家畜化時代は、こうして出来上がったというわけですね。チャンチャン。おっと他人事すぎる物言いかな。


オブラートに包んで言いましょう(意味ないって・笑)。日本でもアメリカでも、カウンターカルチャーは消滅したということ。あるのはメインカルチャー(体制)とサブカルチャー(オタク)だけ。カウンターカルチャーとは、メインカルチャー(体制)への反発・反抗する文化のことです。


私は一人、カウンターカルチャー系のスピリチュアル人を知っておりますが、相当に珍しい存在です。元々スピリチュアルというのは、カウンターカルチャーだったんですけどね。それも今は昔。