ホスピタリティhospitality 「手厚いもてなし、歓待、もてなしの心、温かいもてなし、親切なもてなし、厚遇」といった訳が示される。サービス業ではよく聞く言葉だ。


特に、価格のお高い店では、ホスピタリティのレベルも高い傾向にある。中にはスタッフが「お高くとまっている」勘違いなお店もあるようだが・・・。


ちょいと前に、私が聖徳レイキ倶楽部の名で協賛したヒーリングの勉強会で知り合った友人数名(と私が言って良いのか。気軽に付き合っているが、一回り以上年上の人達だ)と銀座アスター本店に行った時のこと。10万円以上する品もあるような高級中華料理店だ。


デザート何食べようかメニューを見ていたら、お一人が「ボク、このメニューにのって無いものが食べたいなぁ」と言って、「月餅(げっぺい)」を頼んでしまった。そうしたら、店員さんは快く注文を受け容れてしまった。


「え、そんなのありなの?!」


メニューに無い物をいきなり注文してOKという概念が無かった私は驚いた。そして、「だから高いんだ」と納得してしまった。高いお値段は、お一人お一人のお客様に合わせたサービス代が込みなのだと。私が「甲殻類アレルギー」だと知ると、揚げる油からも甲殻類を外す指示をしてくれた。


そして、お勘定をする時にお土産に月餅が売っていたのを見て、「なるほど、作ろうと思えばすぐ作れるのを注文したのか」と理解した。「マグロの寿司が食べたい」みたいな注文は、バカ客の無茶な要求なのだ。


ふと、銀座アスターの餃子が好きだった子どものエピソードを思い出した。ネットを検索すればのっている。その子どもは、親がお土産で買ってくる銀座アスターの餃子が大好きだったそうだ。それで親が今度は銀座アスター本店に連れて行ってくれるというので、ものすごく楽しみにしていた。本店ならば、どんな美味しい餃子が食べられるのだろう!と。


しかし餃子はメニューに無かった。がっくり。本当に落ち込んだようだ。


だが親がこの手の店での振舞いを知っていれば、「子どもは、ここの餃子を非常に楽しみにしていたのです。是非食べさせて欲しい」と言えば、お店は喜んで餃子を作ってくれたのだろう。築地にある吉野家の第一号店ならば、今でも細かい注文が出来るのと似ている。


また、高級店(レストランだけでなく、ホテルなど)で遠慮することは、非常に勿体無いことなのもわかった。料金に含まれているのだから、どんどん我がままを言う場所なのだと。今日のブログのお題は「上客として振舞うには?」だが、高級店の場合、皆基本的には、上客なのだ。


しかし、「我がままを言う場所」だと理解すると、えてしてクレーマーになりかねない。友人の言葉を借りれば、上客とクレーマーは紙一重なのだそうだ。


じゃ何が違うかと言うと、上客の我がままは、お店を喜ばせるのだそうだ。我がままは単なる我がままでは無く、スタッフの質向上や職場満足度の向上につながるような、そんな我がままなのだ。


例えば前述の子どもの餃子のエピソードで言えば、もし餃子を提供できていれば、子どもはさぞかし嬉しそうに餃子を食べたことだろう。それを見たお店側も、やっぱり嬉しいものだと思う。仕事のやりがいみたいなものを感じる瞬間だろう。


また、高級店でスタッフに要求されるホスピタリティのレベルは非常に高いが、ではスタッフが皆そのレベルにあるのかというと、そうでは無いだろう。高いレベルに到達するには、時間がかかるものだ。そしてスタッフを育てるのは、職場だけでは無い。ある一定のレベル以上にスタッフを育て上げるのは、お客様なのだ。


つまり高級店にとって本当の上客とは、スタッフの人材育成に役立つ、そしてスタッフが「ここで働いて良かった」と自己の重要感を向上させる経験をさせてくれる、そんなお客様を指すのだと。


そういったことも最近学ばせてもらっている。問題はお金がかかること・・・と言いたいが、某高級ホテルのラウンジでの代金など、何やかんやで結構な額を払ってもらっている・・・。