病の意味なんてタイトルですが、冒頭でまず結論を言うと、意味なんて無いと思います。単なる出来事。

じゃあ何も書くなよと言われそうですが(笑)、今回も前回も色々な方々から、お大事にのお言葉以外に、あれこれ病気になったことへの意味合いや原因、あるいは私の心情を解説してくれる人が、10名(全員スピ系)はいたので、本人の見解も書いてみようと思った次第です。

意味なんて無いと冒頭書きましたが、正確に言うと、客観的には意味が無いということ。主観的には、むしろ意味しかありません。

そして主観というのは、人それぞれ。同じ出来事に遭遇しても、違う人生を歩み、異なる状況にいれば、その出来事の意味合いは変わってきます。

また主観ですから、意味は本人が見いだすもの。他人があれこれ言うことでは全くありませんし、本来できません。他人に分かることは、その他人自身に対する意味合いです。例えば親が病気になったら、子は「私がもっとしっかりして自立ないと」と思うような類です。

で、この記事の本当の結論。私は、スピリチュアルカウンセラーの類のスピリチュアルからは、完全に決別します。引退じゃなくて、決別。理由は、人の成長や自立を妨げるから。

自己探究の道具として使う分には良いのです。しかし他者の自立や成長を援助することはほとんど無くて、むしろ邪魔をするばかりだと言うことが、二回の入院ではっきり分かりました。

スピリチュアルを学ぶと、他人の魂に平気で手を突っ込むようになるし、また手を突っ込まれたがるようになる。そうじゃ無い人は、ほとんどいない。

私が最初にスピリチュアルを学んだレイキの先生方は、レイドウレイキの青木先生と現代レイキの土居先生でした。お二人とも色々なスピリチュアルな学びをした末に、臼井レイキ一本に絞ってやっていらっしゃるのは共通しています。自分なりに、そのようにする意味合いが見いだせてきたと思います。

レイドウレイキで学んだことは、ただシンプルに自他に手を置くということ。現代レイキでは、発霊法などの自己浄化ワークを淡々とやるということ。

他人に起こった大きな出来事の意味を見いだすような真似は、結局、己が背負うべき、あるいは背負っている人生の課題(カルマ)を、他人に押し付けているだけに、過ぎない。自分のカルマを他人にも背負わせようとするな。

ま、神社仏閣やパワースポット観光は、人生の楽しみとして続けますけどね(笑)