昔、ある社会科学者が、刑務所において、受刑者が毎日行なう労働と、刑務所にいることの苦痛との関係性を調査したことがあった。


当初は、報酬の良い労働や、楽な労働に従事していれば、苦痛は少ないと予測していた。逆に言えば、報酬が割に合わなかったり、重労働に従事していたりすれば、苦痛は大きくなるという予測でもある。


が、こうした労働条件と苦痛との間には、全く関連が無かった。労働に対する満足度と苦痛との間にも関連が無かった。労働にいくら満足していようと、苦痛は減少しないのだ。


では何が関連していたか。


それは、判決が不当だと感じているか否かという、過去の出来事に対する印象であった。判決に納得していないほど、苦痛は高まっていた。またある年数後に釈放されるという、未来への期待も関係していた。釈放の可能性が高いと感じられるほど、苦痛は減少したのだ。


これは人生一般にも応用できる。過去に「どうしても納得できない」出来事があった場合、今を生きるのは苦痛になるだろう。はたから見れば、現状それなりに上手くいっていたとしてもだ。あるいは、未来に「きっと○○が実現する!」という希望があれば、現状が大変そうに見えたとしても、基本的に前向きであろう。


以上の知見を踏まえると、自己啓発ワークは、スピリチュアル系であろうと心理系であろうとマーケティング(商売)系であろうと、テーマは2つに分かれる。


<過去の受容>か<未来への期待>だ。


マーケティング(商売)系は、未来への期待をいかに抱かせるかしか無い。誇張して表現すれば、「あなたも○○すれば、3年で年収1億円になる!」みたいな話だ(笑) こうした法螺話を、上手く表現して、気分を高揚させるような納得性の高いものに仕立てあげる。「5年後もすれば、私きっとあぁなっちゃうわ、ムフフ」みたいな目論見を持たせるのだ。この時、見本となると先駆者の存在を身近に感じられることが、決定的に重要となる。


心理系は、過去の受容が得意技だ。心理系自己啓発の元ネタである臨床心理学は、当たり前だが、クライアントの過去に生じた出来事を対象としている。自ずと、「過去(や現実)と向き合う」のを促すことになる。



スピリチュアル系は、レイキもシータヒーリングもヒプノセラピーも、過去・未来の両方をカバーしている。ただ順番はあって、まず過去を癒し(あるいは過去の思考パターンを修正し)、それから未来のヴィジョンを探究していく。素敵な未来にふさわしい自分づくりからスタートする、というところだろうか。


今日言いたいことの肝は、「だから過去の受容は大切ですよ」ということ。真正面から受けとめるのも良し、自分なりの都合の良いストーリーをつくって納得するのも良し、思考パターンを書き換えるのも良し。


なお、ここでは人間的成長というのは、考慮に含めていない。過去をありのまま受け容れるか、過去を「受け容れやすい形に変更して」受け容れるか。どちらを選択するかと、人間的成長/霊格の成長は、大いに関連がある。過去をありのまま受け容れる方が、糧となる記憶が多い分だけ人間的に成長し、そして「あの世や未来世に持っていけるお宝(=経験量)も多い」。すなわち霊格の成長に、より寄与することになる。


したがって、スピリチュアルな観点から見れば、できれば「ありのままの過去」を受容することをすすめる。


しかし同時に、過去を受容できない状態は、現在の充実感の低下を招く。それは「今ここ」で生きられないために、現在の経験が人間的/霊格の成長につながらないことも意味する。したがって、うらみつらみが蓄積していくような、どうしても納得できない/受け容れられない過去の出来事があれば、シータでもマインドブロックバスターでも自己洗脳でも方法は何でも良いので、サクっと思考(記憶)を変えてしまった方が、人間的/霊格の成長の側面から見ても、良い選択ではないだろうか。


最後に。未来への期待が大切かどうかは、一口に言えないので、またいつか機会があれば書きます。ここまで読んでくださった方はお気づきだと思いますが、欲がからむから、迷いの素にもなりかねないのですよ。前述のように、現在の苦痛を和らげる効果はあるのですけどね。