ドラえもんの道具の話では無いことを、まず断っておきます^^


私の職場には産業カウンセラーが2人いる。そのお2人は性別も性格も異なるが、共通点が2つ。ひとつめ。人の話を聞けない(聞かない?)。ふたつめ。絶えず上長や組織への不満を、誤解(妄想)に基づいて発信している。


私も私と同じような仕事をしている人間も、仕事でよく人の話を聴くため、カウンセリング系への関心がそれなりにある。一緒に、短期療法(ブリーフセラピー)というのをかじり、あるユニークな先生の神業のようなカウンセリングに驚嘆したこともある。


当然、産業カウンセラーの存在についても知っている。心理系の資格では、臨床心理士がダントツに社会的評価が高いが、その次が産業カウンセラー。カウンセリング系の民間資格は多々ある。しかし就職活動をするとわかるが、公的に価値を認められているのは、この2つの資格だけだ。


半年ほどの研修を経て、試験に通ったものに資格が付与されるそうで、私も何度か、「取ろうかな?」と検討したことがある。


が、前述の2人を見てしまうと、資格取得/勉強が悪い方に作用してしまっている。まず自分が話を聴けない人間であるという自覚が、カウンセリングを学んだが故に、無くなってしまう。それどころか、他人よりは聴ける・わかっている存在だと誤解してしまう。


例えば、よく「私はこういう人」と、自身の性格や特徴を説明してくる人がいる。しかし残念ながら当たっているのを見かけることは少ない。他者に説明するならば、「私はこういう人だと思いたい/思われたい」というのが正確な表現だろう。そして資格取得/勉強は、自分に対する誤解がより強固になる側面もあるのだ。


心理系の資格取得/勉強は、世の中への不満がさらに大きくなるという悪影響もある。不満はあっても、それを正当化するためには理屈が必要だ。心理系の勉強をすると、「こういう行動をとっては、相手に心理的な負担をかける/傷つけてしまう」といった知識が身につく。前述の2人は、そうした知識を駆使して、自分の周りに文句や不満をぶつけるわけだ。攻撃に使うだけで、自他を守るのにはその知識は使われない。


結局、心理系に限らず知識というのは刃物のようなもので、便利に役立たせることもできれば、自他を傷つけることにも使える。


どうしてその知識を学びたいのか?学んでどう活用しようと思っているのか?体系だった知識を与える前に、まずそこを徹底して掘り下げるのも意味あることかもしれない。


密教の修行も、最初の1年くらいは意味不明な苦行ばかりだ。そこを乗り越えないと、教えは授けられない。


”知”というのは、それくらい獲得のハードルを上げても良いのかもしれない。もっとも同時に、そんなハードル上げなくとも、知識をどう使うかはその人次第なんだから、欲しいやつにはどんどん与えれば良いじゃない、という気もする。


どんどん与えるというのは、知識保有者にとっても意味がある。というのも、知識というのは護ってしまうと、すぐにカビが生えるからだ。絶えず、知識の出入りをオープンにしておくことで、活き活きとした状態にしておくことができる。