霊能者やチャネラーも、自分のことや自分と関係の根深い人達のことはわからない、なぜならエゴがからむからだと聞くことがあります。


わからないというのは言葉の綾で、実際は、自分のことは自分が一番よくわかっているし、同時に一番わからない存在でもある、ということでしょう。


今年5月のハーバードビジネスレビューでは、人間というのは思ったよりも打たれ強く、人工的に幸福感を作りだすことが出来ると指摘しています。人工的な幸福とは、自分が欲しいものが得られない時に作り出すもの。


その例として、ビートルズの初代ドラマーは、有名になる直前にリンゴ・スターにその座をゆずり、現在はスタジオ・ミュージシャンだそう。20世紀で最も有名なバンドメンバーになるチャンスを逃したわけですが、「ビートルズに残るよりも、この方が私は幸せ」と語っています。


私自身、会社経験を思い返してみると、自分の強い希望がことごとく通らなかった人達が、何度期待を裏切られても、非常にポジティヴに受けとめていたのを思い出します。


もうひとつ面白い指摘は、ポジティヴな経験の頻度は、ポジティヴな経験の強さよりも、幸福感を強める可能性が高いということです。つまり、強烈なハッピーイベントを経験するよりも、些細な良いことが沢山起こることの方が幸せなるということです。


幸福感は、本人しかわからないこと。たとえ他人にはどう見えていても、本人にしかわからない感覚・感情があります。


同時に他人にしかわからないことがあります。それは「他人からどう見えているか」です。他人が見ているのは、その人の「機能」です。


例えば組織では、「あの人は使える/使えない」といった判断がなされます。使える/使えないは、正に他人にしかわからないし、他人が判断して良いことです。本人は、経験的に自分が他人からどう思われているか推測することは出来ますが、その推測が的外れになることもよくあることです。


そして、本人が本当はどこで使われたいかは、本人にしかわからないことです。他人は、その人の言動から推測することは出来ますが、やはりその推測が的外れになるのもよくあることです。


さて、他人のことがわかるように自分のことがわかるようになる方法がひとつあります。それは自分のことも突き放して、一個の機能として見ることです。世の中には自分を見る様々な指標があります。テストの点数なんてのも、その一つでしょう。また「これまで残してきた実績」というのも、経験を積んだ大人の場合、説明力の高い指標になります。


逆に、自分のことがわかるように他人のことがわかるようになる方法もひとつあります。それは他人の感覚・感情も感じることです。やり方はよくわかりませんが、ふと他人の気持ちが自分の感情としてわかる時があります。何なのでしょうね、これは。緊張が他人に伝染するのはよく知られたことですが、はてさてどういうことなのか???


ちなみに、愛を伝染させる、つまり愛を伝道するというのは、結局の所、愛を感じることでして、愛を感じれば、それが他者にも伝わっていきます。愛という感覚・感情は与えるものではどうやら無いようで、受け取るもののようです。そして愛は受け取った(=感じた)時点で、ハートチャクラのネットワークを通して他者にも伝わっていきます。


愛の伝道なんていう現象が、知識では無く、経験的にわかってくるのも、エネルギーワークの面白い所ですね。ここまでわかってくると、愛に有償も無償も無いということもわかってきます。


有償か無償かで愛を区別する考え方は、愛は与えるものという前提があります。与える場合、見返りがあるか無いかで客観的に区別することができます。


しかし、受け取るものであれば、有償か無償かの区別をする意味はありません。愛は愛であって、ただ感じるものだからです。