鎌倉?眠くなって行きそびれました^^; 来週ですな、これは。3月の10・11日か。鶴岡八幡宮でご祈祷を申し込むつもりなので、まとまった時間が必要なのです。




いや、『家族で楽しむ自給自足』という本をつい読みふけってしまいましてね。著者は新田穂高さんというフリーライターで、1998年に茨城県内にある築150年のかやぶき民家に家族4人で移住されたとか。出版は2006年ななのですが、何と言うか今この時期に読むと味わい深くてですね。




自給自足の範囲は、食べ物だけでなく、水、衣料、そしてエネルギーにまで及びます。最近、私は「生活」に意識が向いていて、色々考える所があるのですが、例えば昨年の初夏の頃には、太陽光発電で家の電力をまかなう家を建てようというインスピレーションがおりてきましてね。某社が、抽選で当たった人には特価で建ててあげるよ、というキャンペーンを見て、それで「おっ!申し込むか!?」と思ったのでした。




結局その時は、家を買うなんて全く検討もしていなかったのもあって、心の準備が出来ておらず、申し込みを見送りました。もし抽選に当選したら、かえって動揺していたでしょうから。




本書では、エネルギーの部分でも、太陽光発電、水力発電、風力発電、そして古来から日本のエネルギーをまかなってきた代表格「薪(まき)」が紹介されていました。




脱・原発というのが昨今のキーワードですが、国家レベルで実現するとなると、個人がどうこう出来る話では無くなります。しかし個人レベルでの脱・原発はその気になれば可能なのですよね。国家レベルでは、3.11から1週間くらい経った所で、「あ、もう原発無理だな」というのは現実的な話として多くの人が感じたことであろうと思います。スリーマイル島での原発事故の後のアメリカがどうなったか?という前例などと照らし合わせると、否が応でも日本国は脱・原発になる、と私自身は思っていました。そしていつかは、ほとぼりが冷めるのかもしれませんが、その頃までには、代替エネルギーにとって代わられているだろうなと。




もっとも代替エネルギーの目途がいつたつのかというと、すぐでは無いでしょう。そして目途がたたないと、国家レベルで脱・原発を意思決定することはできないというのは、私はそういうものだと納得しています。




しかしながら、そんな目途がたつたたないの話とは関係無く、今年の4月末に原発の稼働がゼロになる見込みです。国家の意思決定や、あるいは国民一人一人の意識とは関係無く、もう実質的には脱・原発状態です。繰り返しになりますが、もう否が応も無く、ですよね。




今、そうした脱・原発の流れに追い詰められているのは、東電や政府・経産省もそうですが、私達個人も、追い詰められている側だと感じます。原発が再稼働しない→電力供給が不足する、というのが現実のものになれば、一人一人の生活に影響が出ます。なんといっても3割近い電力消費を原子力がまかなってきたのですから。家計でもいきなり3割収入が減ったら、「どうすんの?!」状態になるはずですからね。




勿論、電力供給は不足しないのかもしれませんし、不足しないよう、電力会社や政府は全力を尽くすでしょう。が、無い袖は振れないしね。政府や電力会社はともかくとして、国民一人一人はどこまで覚悟を固めているのか、とも思います。世論調査では、脱・原発の流れは7割以上の国民が支持していても、今すぐ捨てるという話には、1割ほどしか賛成していなかったと記憶しています。しかし、3.11後、1年余りで実質ゼロに。ドイツの脱原発が有名ですが、ドイツよりも実質的な変化は急速です。




タイムリミットは今年の夏まで。うむ、迫っているなー。電力危機が起こるのか起こらないのか。起こらないのであれば、来年以降も大丈夫でしょうけど。電気代の10%値上げ程度で事がすむのであれば、全然楽なものだと私は思うのですが・・・。