下坐 | 光明庵 戸田照徳

光明庵 戸田照徳

真言宗 観音寺 執事
光明庵(自宅)の日常を紹介しております。
画僧 仏画 教室
武道をたしなみます。

下坐行が足りない。

よく言われた言葉である。
反省しきり。
自分という人間がいかに傲慢か。

会社であれば、自分より歳が若かったり後輩の上司に必要以上に威張られることがある。
友達、仲間うちでも。
テレビで以前、占い師、カウンセラーがゲストを診た時に、そういう上から来るタイプの先生がいらっしゃることもあった。
今風に言えば、すぐマウントを取るタイプ。
ハンドルを握ると心が偉くなって威張る、煽るタイプ?
こういうタイプの人間が、自分で思うところよりわざと下座に身を置き、
余計な傲慢さやプライドを粉々にして、足場を固めて円い人間となる。
自ら一番下座に座る。
宮沢賢治なら、自らでくの坊と呼ばれにいく世界。
自分の慢心が溜まって来たら、自然に下座に座り直し、しかしながら心は更に高いところに上がる。
初心の苦労を忘れない上司という人は、こういう事を自然にやっている。
その為の修行を下坐行と言い、私が社会に出た頃は、企業の方などもよく使われた言葉だが、今では死語になっているらしい。
こんな文章を書く自体、私にも肉の体を持つなりに傲慢さがまた出てきたようだ。
改めて下座に座り直し、下坐行をまた始めなくてはならない。
社会的に権威のある人が、サークルや教室に入り、初心者として自分から一番下になるのがこれ。

南無大日大聖不動明王
お不動様は、他の仏様が蓮の華の上に上がるところを、自分の頭の上に蓮の華を乗せ、泥土に裸足で立ち、一番下から人を上に持ち上げる尊い仏様である。
修練を常にしているからお体もたくましい。

合掌

照徳