インターネットが現実と勘違いされているのではないだろうか。(インターネットをすることも現実なのだからインターネットも現実といえるが、この場合の現実を実生活としておく。)
確かにインターネットはどこにいようが誰とでも会話することができ、さらに年齢、外見に関係なく、自分の考えを話すことができる非常に優れた道具であることは間違いない。インターネットで多くの人と会話し、多くの思想に触れることは本当に素晴らしい。

また小さいころから触れていることで失敗しておける。子供が何か言ったところで所詮子供であり、大人になってからのミスとはまた違う。(ただ、最近は盗みをしただとか、煙草を吸っただのまで日記に公開してひどい問題になっているが。)

しかし逆に考えるとここに問題点がある。
現実ではこの年齢や外見といったことも重要になってくるからだ。
人は外見ではないともいえるが、極論を言うと包丁を持った状態で話し合おうといわれても説得力にかけるのである。
時と場所、目的に応じて身なり、敬語などを当然使っていく必要がある。

また思想だけの頭でっかちになりうる危険性もある。特に子供、または知識の乏しい人にとってインターネット上の大量の知識こそがすべてだと勘違いしかねない。仮にインターネットの知識が正しく、現実の知識が誤りであっとしても、現実に生きていくにはどうしても長いものに捲かれる必要がでてくる。

これは現実の悪いところで、力のある人が黒といえばそれは黒なのである。この力とは年齢によって異なるのではないかと考える。子供であればコミュニケーション能力であり、大人であれば学歴や職業なのがこれにあたるのではないだろうか。大人にもコミュニケーション能力は必要だが、これは全員持っているとしておく。

だが、実際はコミュニケーション能力を持っていない大人も大勢いる。
コミュニケーション能力の定義をつけたいところだが、私も定義することができないので、これを読んでいる人の解釈に任せるが、私の経験から、この能力は向上すると考えている。多くの人と話しをすることであると考える。インターネット上だけの気にいった人々だけと付き合っていくのではなく、現実の嫌いな人ともうまく付き合っていける方法を現実で学んでいく、そうすることでコミュニケーション能力が向上していくのではないだろうか。


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はい、最後にコミュニケーションの話で着地してしまいましたーwwwwwwwwwwwwwww
3日間かけて頑張って書いたけどもうダメwwwwwww修正する気がおきないからもうこれでおしまい^o^

長くなったけど、3行でまとめると、
コミュ力大事
インターネットせずに
現実の人ともっと話せ

終わり^-^