京都府庁旧本館周辺の史跡(京都守護職上屋敷跡)(京都慶應義塾跡)など | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(4月6日のこと)です

京都府庁旧本館には先にも書いたように一度訪れていましたが、いつもの如く見落としていたものが多々あったので補完するためキョロキョロウロウロです泣き笑い


まずは一番見てみたかった
京都守護職上屋敷跡
住所・京都市上京区薮之内町
正門入った右手にあります
正門の中にあるので、京都府庁旧本館の敷地内に入らないと見ることは出来ません指差し

解説
「京都守護職上屋敷跡」 
 幕末京都の警備を命じられた 京都守護職は、市中に数ヶ所の 広大な屋敷を構えました。
現在の府庁にあたる敷地もその一つで、この敷地は「上屋敷」 跡にあたり、度重なる増改築を 経て慶応元年(1865)に完成しました。 規模は現在の敷地ほぼすべてを占め、正門や敷石、玄関等はたいへん豪華なものだったとい われています。
京都府
(原文のまま)
会津藩の京都守護職の駐屯所と言えば、金戒光明寺が思い浮かぶ人は多いかと思いますが、ここもそういうとこの1つとは知りませんでした
f(^^;

それともう1つ
京都慶應義塾跡
住所・京都市上京区薮之内町
こちらは正門入った左手にあります
解説
京都慶應義塾は、東京の慶應義塾の分校として、明治7(1874)年2月、

福沢諭吉と親交のあった京都府参事槙村正直(1834〜1896)の斡旋により、福沢諭吉(1835〜1901)により開校

この地にあった京都府中学校の一部を借りて建設
しかし、同年9月廃校となる
(いしぶみデータベース参照)
短い期間にしても、京都に慶應義塾大学があったということが驚きでしたあんぐり

旧本館を東側から出て、少し上がった第3号館の建物横に解説がありました

平安京左京一条三坊三町跡
平安京左京一条三坊三町跡
 (京都市上京区下立売通新町西入薮/内町)
  新行政棟・文化庁移転施設の整備事業に伴っ て平成30年度から令和元年度に発掘調査が行われ、平安時代から近世までの数多くの遺構や遺物がみつかりました。特に、戦国時代 の大規模な堀の発見は、貴重な成果です。 
  この堀は幅約5m、深さ約1.8mを測り、 検出した長さは約25mと、この時代の京都市内でも最大級であることがわかりました。15 世紀末から 16 世紀初頭に掘られ、南側の屋敷を防御しています。一方で、短期間で埋められたこともわかっており、当時の京のまちの混乱した世相をよく示しています。
  このほか、平安京の近衛大路の側溝や近世の町家跡などもみつかりました。 
 公益財団法人京都府埋蔵文化財調査研究センター調査
(原文のまま)
左側の画像のアップ

以前、似たよう名前の史跡を見たことがありました
それは近くの京都府警察本部の下長者町通り沿いにあったものです

位置関係的にはこんな感じ

京都府庁旧本館関係のことはこれでお仕舞いです😌
この日のこと続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ