橋物語32 丸太町通りに架かる橋(丸太町橋) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(3月21日のこと)です
前回紹介したスレスコ河原町丸太町店のすぐ横が鴨川となっています
そこに架かっているのが丸太町橋
住所・京都市上京区・左京区
竣工・平成3(1991)年11月
諸元・橋長92m 幅員22m/22.8m
形式・鋼橋・2径間連続鋼プレートガーター
歴史など
明治16(1883)年、丸太町橋が架けられる
大正2(1913)年、鋼桁橋に架け替えられる
市電も敷設
昭和5(1930)年、架け替え
昭和51(1976)年、市電廃止
平成5(1993)年、現在の橋に
丸太町通りは、平安京の春日小路の位置にあたる
鴨川以東の聖護院村の市街化が進むのは幕末期以降
そのため、明治になり橋が架けられた模様
(ネット・京都風光、京都大事典参照)

右岸から橋を望む




橋にはバルコニーがありひらめき
鴨川に架かる橋ではバルコニーがある橋は少なかったと思います🤔

右岸から・横を望む

左岸・下流側、親柱

その周辺に祠

左岸から・横を望む

左岸・上流側、親柱周辺

雪柳が満開😄

左岸・上流から、スレスコと共に

右岸・上流側、親柱

右岸・上流側、川沿いから
この頃は雪柳がどこかしこに咲いてましたニコニコ

右岸・上流側から横を望む

橋の上から、上流


下流

位置案内

橋の下

橋桁


そこには鴨川に架かる橋によくある解説がありました

丸太町橋の歴史
 丸太町通とは材木の売買に由来します。その通りに丸太町橋が架けられました。近代以前、丸太町橋は木製の橋が架けられていました。
 大正2年(1913年)に京都市営電気軌道が計画され、同時に道路の拡張工事により、鉄橋の丸太町橋が架けられました。
 現在の橋は平成5年(1993年)に架け替えられました。
(原文のまま)

写真のアップ
明治期

明治期

大正期

その横には時代祭の解説

 時代祭
 時代祭は明治28年(西暦1895年)の平安遷都千百年紀念祭に際して創設されました。
 この祭は平安京初めの延暦より明治に至る千百年間の文物風俗を模した衣装を着けて神幸列にお供えをする祭礼で、約2000人、約2kmの行列が続きます。これが「動く歴史絵巻」と言われる由縁です。
 葵祭(五月)、祇園祭(七月)とともに京都三大祭りの一つで、毎年10月22日に平安遷都記念の日に祭儀が執行されます。
(原文のまま)

写真部分のアップ
第1回時代祭

隣の絵の部分をアップ
明治28年(1895年)の第1回時代行列の様子

丸太町橋・右岸上流にも橋の解説がされたプレートがあったのでこちらにも貼っておきます
丸太町橋の東を見ると、熊野神社の一の鳥居と対の石灯篭が見える。お粗末な欄干の木橋で、明治になって聖護院から吉田付近に学校が集中するに及んで、丸太町通に学生のための古本屋が開店した。市電の開通以前は道路もせまく、平屋建ての家が多かった。
丸太町橋の名の起こりは古く、堀川に丸太を並べて橋にした処から其の名が出たので古名は春日通といった。
(原文のまま)

丸太町橋は明治以前は度々の水害で流失するので、木橋が架けられていた。東に熊野の森があり、西は近くに三本木の遊郭があって人の往来も多く、御休宿所と云う料理屋も出来ている。鴨川の此辺の西の岸辺からは東山三十六峰を見るに一番よい場所と云われている。橋上には洋傘をさし、人力車が通る風景は明治初期の橋を現している。
(原文のまま)

丸太町橋、左岸上流から山紫水明処(さんしすいめいしょ)を望む

次回も周辺のことが続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ