今回から2月23日のことになります
だいぶ話が古くなってきますが、良かったらお付き合いください😌
この日は冬の旅を見に行くのと、ブログの下書きしてたら、清水寺(前にアップしたものです)で気になったとこが出てきたので、再訪することにしました
ちゃんと調べずに行ってるから、レレレあるあるです🤣
駐車場から清水寺を目指し、五条坂を上がっていきます

途中、今まで歩いたことがない茶わん坂を行ってみることにしました
茶わん坂

HP・茶わん坂
朝早かったので、人はほとんど居ません🤣
清水寺附近観光案内図

解説

茶わん坂由来
清水一帯に開窯を見るに至ったのは伝へによると聖武天皇(734〜743)の頃、僧行基によって清閑寺村茶碗坂で製陶されたのが初めてといわれている。
あるいは慶長年間(徳川家光の頃)茶碗屋久兵衛が、五条坂一円で金・赤・青を彩色した陶器を作り、これに清水焼の名を冠したのが始まりと言われている
その由緒ある名を頂き茶わん坂と名付けた。
茶わん坂繁栄会
(原文のまま)
茶わん坂を上って行くと、三重塔がその先に見えてきます


その手前の左側にはこんな看板がありました

あさひ坂ご案内図

アップ


清水寺を東に、北の清水坂と南の茶わん坂をつなぐ小径・あさひ坂。
ここは、京焼・清水焼のみならず、日本各地の伝統工芸をあらゆる角度から楽しむことができ、東山(洛外)から中京・左京(洛中)を望む気持ちの良い散策路としても楽しんでいただけます。
(原文のまま)
その先にも先ほどと同じ内容の駒札がありました


清水寺へ入る手前の左側に
近藤悠三記念館

建物前の石碑

入り口の解説

近藤悠三記念館は、1987年(昭和62年)に開館しました。
陶磁器染付の分野で重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受け、わが国の陶芸界に大きな足跡を残した近藤悠三(本名・雄三)は、明治35年に清水寺門前(当記念館のある場所)の家に生まれました。
12歳で、ロクロ技術を習得するため陶磁器試験場付属伝修場に入所した近藤悠三は、そこで河井寛次郎氏や濱田庄司氏と出会い、また19歳からの3年間、富本憲吉先生の助手となって修業を重ねました。
22歳で独立した近藤悠三が、母親の助力を得て仕事場を設けたのもこの場所です。その仕事場でひたすら想を練り技を磨きながら、近藤悠三は陶磁器染付の最高峰と称されるまでに、みずからの作境を高めていったのです。
人の思想や人格の形成は、環境に負うところが大きいとされます。お訪ね下さった皆様が、当記念館や展示作品を通して、近藤悠三の人となりや、芸術に対するご理解を深めていただければ幸いです。
(原文のまま・一部抜粋)
今回は寄れてないので、また行ってみたいと思ってます

その先が更に急になっていて、すぐ清水寺となります
