その途中に石碑
白河天皇皇后外二方御陵

曲がると、左手に懸け懸造りが見えました


重要文化財 如意輪堂
北の堂宇は開山大師が准てい堂と共に自己の如意輪観世音菩薩を祀られた由緒深いものであるが、再三焼失の其の都度再建され現在の建物は、慶長11年に豊臣秀頼により再建されたものであるが、その木造りは全て大阪に於いておこなわれたものである。
醍醐寺新要録によれば「結構花見前代の堂〇倍」(〇は読めず)とあり、此の堂の再建当時の美麗と、昔時の堂の簡素さがしのばれる。
本尊は二臂如意輪観世音で、豊家ゆかりの女房衆の寄進になるものである。
(原文のまま)
残念ながら入れないのと、前に木があるから、この角度くらいでしか撮れないんですよね😅

その先が広場になっていて
奥に縁結白山大権現

寛平9(897)年、開山聖宝によって山上の鎮守として加賀の白山神社から勧請される
豊臣秀頼により再建
(京都・世界遺産手帳参照)
如意輪堂の反対側にあるのは開山堂(重文)

正面から

解説

開山堂(重要文化財)
醍醐寺を開いた聖宝尊師は、延喜9(909)年に遷化された。後を受けた弟子の観賢が、聖宝尊師を祀るために、延喜11(911)年頃に開山堂を建立した。
開山堂は、その後、度々火災にあったが、その都度、再建されている。現在の開山堂は、慶長13(1608)年に豊臣秀頼の寄進を受けて新築された。間口が五間、奥行きが八間で、正面には軒唐破風が付く大規模な建造物である。同時に内部には雲・龍・牡丹・唐獅子の透かし彫りなど慶長年間の端正で自由闊達な意匠もあり、豊臣時代を代表する建造物でもある。
この再建時に、聖宝像が祀られていた場所の地中から遺骨を収めた壺が出てきており、開山堂は、同じ場所で再建され続けてきたことが判明している。
尚、現在も堂内に安置される聖宝理源大師像は、文応元(1260)年の火災の後、弘長元(1261)年の再建時に新たに祀られた坐像であり、肖像彫刻を代表する作品であり、重要文化財に指定されている。
京都市
(原文のまま)
こちらは旧の解説

重要文化財 開山堂
最初延喜年間に建立され次いで寛治6(1092)年に改築されたが、其後二回にわたり祝融にあい現在の堂宇は慶長11(1606)年豊臣秀頼の再建されたもので、雄大な桃山時代調をよく発揮した山上最大の建造物である。其の様式に於ては注意を要する点が多々あるが外観に於ては、側面前端の間の扉〇
ここでは縁が切断されており、扉が亀腹上にまで達しておることある。
堂の内内陣には、中央に開山聖宝理源大師、左に弘法大師、右に醍醐寺一世座主観賢僧正の像が奉安されてある。
(原文のまま)
開山堂と如意輪堂のダブルショット


動画も撮りました
この時は僕だけだったので静かなものでした🤣
途中すれ違ったり、登られてる方もいたので皆無ではありませんでしたが

醍醐山頂(標高450m)
もし上醍醐まで行かれて醍醐寺を全部見られるなら、最低半日はみておかないと予定が狂ってしまうと思います😅
上醍醐から下界を見下ろせるのは如意輪堂前にある展望台?くらいです
