前回からの続き(11月12日のこと)です
石碑の交差点で河原町通りを渡り、反対へ
2つ目の道を左へ曲がります
それは姉小路通りで、姉小路通りを東へ進むと次の目的地が左手に見えます
京都モダン建築祭 その5
カトリック河原町教会
住所・京都市中京区河原町三条上る下丸屋町423

歴史など
1873年、キリシタン禁制が廃止
1879年、パリ外国宣教会・ヴィリオン神父入洛
高倉二条に家を借りて、フランス語塾を開講すると共にその場を仮聖堂とし、布教を再開
1881年、問屋町に移転
1882年、三条高倉に移転
1890年、現在地にフランシスコ・ザビエル教会として建立
現在も「聖フランシスコ・ザビエル大聖堂」とも呼ばれているそうです
1967年、現在の聖堂建立
旧聖堂は、愛知県犬山市の明治村へ移築
(HPより)
見所 数々のステンドグラス
         歴史ある都の聖母像(地下)

外観は見ての通り今風です

外からもステンドグラスがチラリ

こちらから入って行きます
入り口にあるのは聖母子ブロンズ像
木内克制作(1972年)

階段上がって、室内に入ると開放的な空間が広がっていました!爆笑

そして目を惹いたのはこれらのステンドグラス群(゜ロ゜)

こんなに横にずっとあって見事ですびっくり



そして正面にも!ガーン

壁一面がステンドグラス!
ほんと見事なものでした😆

おそらくマリア像

ステンドグラスじゃなく、ライトを撮ったもの泣き笑い

殉教者の間
右手のは告解室というものだそうです

入り口左にあったイエス像

全体の雰囲気
けっこう広い空間で、先に見た教会とはまた違う雰囲気のものでした
この日は最後の方にも教会へ行くので、都合4ヵ所教会へ行ったことになります(^^ゞ

地下も見学出来るようなので、行ってみました
小聖堂

その部屋の片隅に像があります

都の聖母像

解説
 フランスのサン・クロード教区司祭ロバン師は、「日本教会史」を読み、聖フランシスコ・ザビエルや多くの宣教師の努力と数多くの殉教者の犠牲に感動して、1854(安政5)年日本布教再会を祈る祈祷会を作った。そして、ザビエルが日本に携えてきた聖母画像を模して6体のブロンズ製の聖母像を作らせ、1865年教皇ピオ九世によりローマで「都の聖母」の称号で祝別をうけた。うち一体がパリ外国宣教会本部に送られ、同会ビリオン師により日本へ運ばれた。1873(明治6)年禁教下のため、ロバン師の望みどおり都を見下ろす丘、東山将軍塚に埋められ、1879(明治12)布教再開と共にビリオン師により発掘された。以後カトリック河原町教会に安置されている。
(原文のまま)
おそらくキリスト教徒からすると、凄い歴史的な像が祀られてることに感動しますおねがい

その詳細の解説用紙もありました
さすがに長過ぎるので文字起こしはしませんが🤣

リーフレット

こちらにも前に紹介した本が置いてありました
もう一つの京都 京のキリシタン史跡を巡る
この本の最初の方にこちらのことが載っていました
それによると、フランシスコ・ザビエルが都に聖堂を建てることを夢見た願いをこちらの教会が実現したため、この名前(聖フランシスコ・ザビエル大聖堂)と言われる由縁のようです

しばらく建築とは関係ない散策が続きます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ