東福寺塔頭から智積院まで | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続き(11月3日のこと)です
天得院を出て、周辺で拝観出来るとこがないか(特別公開以外で)見てみます
天得院がある1つ先の筋に桂昌院というところがありました
山門前にある後宇多天皇菩提所の石碑が目を惹きます
こちらは調べていると、境内にあるお堂に参拝出来るようなことが書いてありました
今回は行ってません😅

その前にある願成寺
入り口に拝観謝絶となっていました
ただ、前に11月の週末に東福寺へ行ったとき、何か催し?をされてたことがあったのがこちらだったと思います
もしそうなら、その時なら御朱印とか頂けるのかなぁ?とか思ったりしました

そんな感じで拝観出来そうなとこも無かったので、特別公開してる南明院へ向かいました
途中にあったお店・竹情荘

こじゃれた洋風の建物に、表にあったぜんざいの文字に惹かれましたが、この日は行ってません🤣
ギャラリーとも書いてあったので、併設されてるのかな?

そして先にアップしたように南明院の特別公開を拝観しました→南明院 


戻っていきます
すっかり有名になった光明院
こちらも特別公開されていました
前にも書いてましたが、特別公開は1000円になりますが、通常なら300円で拝観出来ますとわざわざ書いてあるところに好感が持てました♪
( *´艸`)
こちらも以前伺っています→光明院 


こんな駒札入り口にあったかな?🤔
 光明院
 東福寺塔頭として明徳2(1391)年、金山明昶(きんざんみんしょう)が創建した寺院であり、桜や紅葉の季節には、特に苔が美しいことから別名「虹の苔寺」とも称される。
 方丈の前に広がる池泉式の枯山水庭園は、昭和14(1939)年、重森三玲が作庭した名庭で平安式の州浜型の枯池に多数の石組を配し、大海を表す白砂に構成された三ヶ所の三尊石組から仏のごとく斜線上に立石が並んでいる。
 その背後には、サツキやツツジが雲紋になぞらえて刈り込まれ、雲の上に月を形どる重森三玲設計の茶亭 蘿月庵(らげつあん)が佇む。「波心の庭」から眺めると、蘿月庵が東の空に昇る月の姿となる。
 本堂には、本尊である金造佛の釈迦牟尼佛が安置されている。
 京都市
(原文のまま)

その先(東福寺側)にある正覚庵
以前伺ったときの記事→正覚庵 


こちらも以前特別公開で伺ってますが、こちらはそれから以後公開されることが多くなった気がします
上の掲示板にもあるように、御朱印もいろんなのを出されてます
庭園なども立派なものでしたが、かえすがえすも撮影出来なかったのは残念でしたショボーン

チラチラ紅葉してたのを見ながら戻って行きます

途中、胡蝶蘭?と思うような花が自生してましたびっくり

智積院も紅葉しかけのようでした

こちらにも駒札がありましたが、こちらもあったかな??🤔
 智積院
真言宗智山派の総本山で全国に3000余の末寺かある。もと紀州根来山の学頭寺智積院であったが、豊臣秀吉の焼き討ちに遭い、学頭玄宥(げんゆう)僧正は、難を京都に避け、後に徳川家康の帰依を受けて慶長6(1601)年に豊国神社境内の坊舎と土地を与えられ、智積院を再興した。その後、祥雲禅寺を拝領し現在に至っている。
 祥雲禅寺は、秀吉が長男鶴松【棄丸(すてまる)】の菩提を弔うため建立した寺で当時は都第一といわれた。
 収蔵庫にある豪華な襖絵(国宝)は祥雲禅寺以来のもので、長谷川等伯並びに一門の筆といわれ、桃山時代の代表的障壁画として知られている。このほか、張即之筆金剛経(国宝)、南画の祖といわれる王維の瀧図(重要文化財)をはじめ、仏画・経巻など多数の指定文化財を蔵している。
 庭園(名勝)も同じく桃山時代の作庭といわれ、築山と苑池からなる池泉観賞式庭園で京洛名園の1つに数えられている。
 京都市
(原文のまま)

こちらももちろん拝観してます→智積院 


次回は京都国立博物館のことになります
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ