丹波国神社めぐり-福知山市-(愛宕神社) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

今回も福知山市の神社のことになります
場所は前回の明天神社から西へ行ったとこになります
この日は親父とこへ行って、BOOK・OFFからの帰りです
便宜上、明天神社を先にアップしましたが、当日はこちらから先に行ってます
まだ雨が降っていてズクズクになりましたガーン
愛宕神社
住所・京都府福知山市土師手白山1
御祭神 伊弉諾命 火皇産命 軻遇突智命(加具土神)
駐車場あり
鳥居の手前右手側にありますが、鳥居の前の道(参道)が車1台分くらいで狭いです

参道に咲く紫陽花

鳥居

由来
所在地 福知山市大字土師小字手白山一番地
祭神  伊弉諾命 火皇産命 軻遇突智命(加具土神)
 神仏習合の思想に基づく祭神(愛宕権現太郎坊)と本地仏(勝軍地蔵)も祭祀されており仏教色濃厚である。
境内社 日吉神社…事代主命  幸之神社…猿田彦命
    稲荷神社…保食神   八幡神社…誉田別命
    大神神社(皇大神宮社)…大日霎命
祭礼  春祭 1月24日   夏祭 7月24日
 一般には防火の神として信仰厚く、お祭りには近在からのお参りが多い。昭和10年代以前の参詣には「愛宕道」と呼び慣わされてきたコースが利用された。

伝説 慶長14(1609)年頃、前田一ノ宮の森(現明天神社の社)の大桧が夜毎燐光を放つのを見た村人が京都愛宕神社の分霊を勧請し、ここに祠を建てたのにはじまる。
 藩主有馬候が由良川で鷹狩の際、行方不明になり一ノ宮の愛宕神に祈念したところ霊験があり怱ち飛びかえってきた。

庇護 慶長17(1612)年 有馬候が祠を現在地に遷座(創建)
   明暦3(1657)年 松平忠房候社再建、脇宮、鳥居寄進
   寛文7(1667)年 愛宕神社を近郷五社の一つに選定
   【一宮神社・天照玉命神社・荒木神社・庵我神社・愛宕神社】
   元禄5(1692)年 朽木稙昌候拝殿造営、鳥居修復、社領安堵
   宝永2(1705)年 火伏せの大釣鐘鋳造。以後朽木家代々の庇護厚く、祭礼には藩候の代参もあった。
   【梵鐘は明治政府の「神仏分離」政策により、改鋳して鐘楼とも前田の東林寺が申し受けたが太平洋戦争時の金属提出で失った。】

神宮寺 寛永14(1637)年 藩主稲葉紀通候は愛宕神社守護のため葛野郡【現京都市】愛宕山大善院末寺として手白山の麓に雲前寺創建、亀岡馬路村【現亀岡市】から中川盛秀が別当として招かれ以後十ニ世まで世襲。明治2(1869)年雲前寺廃寺、廃寺後の建物は明治6(1873)年から2年間土師・前田両村の学校仮校舎として使用された。

総改築 慶応4(1868)年4月総改築【9月8日から明治に改元】
    現存社殿の基本形態はこの時のものである。
    ニ枚にわたる棟札に朽木近江守をはじめ奉行ほか職人64名の名前が見え、明治維新の変革期における藩主肝いりの大普請であったことをうかがせる。資金調達のため土師河原で芝居を興行したともいう。
    平成9(1997)年には「府社寺等文化資料保全助事業」も受け、瓦総葺替ほか大修理を行った。

手白山 八合目に遺る土塁から戦国時代は砦だったことがうかがえる。
    遷座後は両村で土地争いが絶えず、松平候の時「山は土師、社は前田」という裁定が下された。
    明治に入り山は国有林にされたが33(1900)年払下を受けた。払下後、明治・大正へかけて植林に力を注いだ。
    明治39(1906)年には雀部小学校児童により千三百本の桧苗を栽植したという。
明治以降土師・前田交互年番で護持している。
(原文のまま)
地図のアップ

こちらもちょっと階段を登ることになります


小山の上にあるので、まあまああります😅

一瞬、日が射したとこ

頂上に着きました
ニの鳥居

少し歩いた先に左手に手水舎

境内全景

狛犬

これも尻尾が長いような?


拝殿の両側に境内社

拝殿内部

拝殿と本殿と

本殿も覆屋で覆われているようです

拝殿の右側に御神木であろう大きな杉がありました

境内社


たぶんここから見えたのが土塁だったようです


神社に上がるとこは石段だったので足元が良かったのですが、鳥居までがグチャグチャで大変でした💦


今回の通選り抜き言葉
僕は漫画も若い時は鬼のように買って読んでいたので、その中にびっくりと思ったものは書き出してました
今回はそんな漫画からの1節
 お前達は、おのれ自身の中にいる神に仕えるためここにいるのだ…。そうだ…。それを人は、良心とも言い、愛だとも言う…。
 神は決して天上にありうやまうものではない…。おのれ自身が血を流しみずからの内に見つけ出すものなのだ。だが、もしその神をも裏切ってしまった時、人は人でなくなり、おのれの中の神も死ぬ。
(1993年、孔雀王より)
この頃、孔雀王が流行ってました。最初は結構シリアスな感じだったのが、だんだんとトンデモな感じになって行ったような😓
ちなみに実写の映画になったことがあったのを覚えている方はおられるでしょうか?
それも香港との合作!
主演は三上博史(孔雀役)で、香港からはユンピョウが出ていました
言葉としては割りと深い言葉な気がします😌

次回も福知山市のことが続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ