三条大橋周辺の石碑など(駅伝発祥の地)(弥次喜多像) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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散策で主に史跡、神社仏閣を巡ってます
各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

今回から去年12月11日の散策のことになります
この時の目的は文化博物館のミュシャ展へ行くためでした

まずは駐車場から最初に通ったのは、三条大橋
その周辺にはいろんな石碑がありました
鴨川の東側にあるのは駅伝発祥の地の碑

駅伝の歴史ここに始まる
我が国、最初の駅伝は、奠都五十周年記念大博覧会「東海道駅伝徒歩競走」が大正6(1917)年4月27日、28日、29日の三日間にわたり開催された。
スタートは、ここ京都・三条大橋、ゴールは、東京・上野不忍池の博覧会正面玄関てあった。
(原文のまま)

出発地点
日本初の駅伝は、1917(大正6)年、京都三条大橋から東京上野不忍池までを23区にわけて開催された。
2017(平成29)年4月29日はちょうど100年となる。今や国際的にも普及発展し、「EKIDEN」という語が世界共通の競技として認められるようになった。
駅伝発祥から100年を迎えたことを記念して、この地に記念碑を建立した。
(原文のまま)

三条大橋
住所・東山区大橋町
現在の架設年度 昭和25(1950)年
諸元 橋長74m 幅員15.5m

上(BOOK・OFF)から見た三条大橋
(令和2年2月15日撮影)

解説
三条大橋
 この橋の架けられた年代については明らかでなく、室町時代前期には、すでにごく簡素な構造をもつ橋として鴨川に架けられていたものと推定されるが、本格的な橋となったのは天正18(1590)年で、豊臣秀吉の命により奉行増田長盛が大改造を行った。
 また、擬宝珠は天正と昭和のものが混用されているが、その銘によると、
「洛陽三条の橋は後代に至るも往還の人を化度(けど)とせしむるもの也、磐石の礎は地に入ること五尋(ひろ)、切石柱は六十三本也(以下略…)」とあり、いかに大工事であったかをうかがわせる。
かつてはここが東海道五十三次の西の起点にあたり、重要な交通の要衝であった。
以後たびたび流失したが、幕府が管理する公儀橋としてすぐ修復された。
 元禄以来、たびたび改造を経てきたが、昭和25(1950)年の改造によって今の姿に改められた。
現在の橋の長さは74メートル、幅15.5メートル。なお、橋の西詰め北側には、高札場とされたところで、現在も天正年間の大改造の際に使用された石の柱が残されている。
(原文のまま)

擬宝珠(ぎぼし)には文字が書いてあります
これが工事の様子を書いたものなんだと思います

擬宝珠と紅葉照れ

三条大橋から見た鴨川

渡るとそこに居るのは弥次喜多像
弥次喜多は、ご存知江戸時代に十返舎一九(じっぺんしゃいっく)が書いた「東海道中膝栗毛」の主人公です



弥次喜多像の近くにはいろんな駒札があります

三条小橋商店街町定

三条大橋擬宝珠刀傷跡
 三条大橋西側から二つ目の南北擬宝珠に刀傷があります。これは池田屋騒動のときについたのではないかといわれており、現在でもはっきり見て取れる刀傷です。
 三条大橋を渡る時に目をやってみてはいかがでしょう。
(原文のまま)

探してみるとこんな傷がありました
こういうものを見ると、ほんとにあったことだと実感されますおねがい

三条大橋関連のものは京都国立博物館の敷地にも展示されています

(令和2年9月12日撮影)


この時の散策は市内を散策してはいますが、かなり地味なものとなっています😂
以後、よかったらお付き合いください😌
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ