前回からの続きです
(令和2年5月30日のことです)
嘉祥寺の横くらいに天皇陵があります
深草北陵
こちらは納骨堂で、十二名の天皇が納められているそうです
そのため十二帝陵と呼ばれるということです
その十二名は
後深草天皇
第89代天皇
生没年 1243~1304年
在位年 1246~1259年
享年 62歳
この頃、後深草天皇の父である後嵯峨上皇が崩御されたとき、次の天皇を決められてませんでした😓
そのため、天皇家が2つ(持明院統・大覚寺統)に分裂
南北朝時代の発端となりました
後深草天皇は持明院統の祖となった天皇です
伏見天皇
第92代天皇
生没年 1265~1317年
在位年 1287~1298年
享年 53歳
天皇暗殺未遂事件が起こる
後伏見天皇
第93代天皇
生没年 1288~1336年
在位年 1298~1301年
享年 49歳
幕府の意向により3年で退位
後光厳(ごこうごん)天皇
北朝第4代天皇
生没年 1338~1374年
在位年 1352~1371年
享年 37歳
南朝の激しい攻勢のため、美濃や近江へ避難した天皇
後圓融(ごえんゆう)天皇
北朝第5代天皇
生没年 1358~1393年
在位年 1371~1382年
享年 36歳
3代将軍・足利義満と従兄弟
しかし義満が朝政に積極的に介入してきたため、たびたび衝突する
晩年に母・紀仲子(きのちゅうし・崇賢門院)の仲介により関係を改善する
後小松天皇
第100代天皇
生没年 1377~1433年
在位年 1382~1412年
享年 57歳
後圓融天皇の譲りを受け即位
南北朝合一が実現し、南朝の後亀山天皇から三種の神器を引き継ぎ、皇統が統一される
ちなみに後小松天皇の落胤と云われているのが、アニメで有名な一休さんこと一休宗純
その一休宗純が晩年過ごされ、お墓がある酬恩庵(一休寺)のそのお墓は宮内庁が管理しています→酬恩庵
称光(しょうこう)天皇
第101代天皇
生没年 1401~1428年
在位年 1412~1428年
享年 28歳
後小松上皇と対立
後土御門(ごつちみかど)天皇
第103代天皇
生没年 1442~1500年
在位年 1464~1500年
享年 59歳
即位してすぐに応仁の乱が勃発
朝廷の費用も窮したため、亡骸が43日間も御所に放置される😓
後柏原(ごかしわばら)天皇
第104代天皇
生没年 1464~1526年
在位年 1500~1526年
享年 63歳
37歳で即位するも、資金難のため即位式が執り行われたのは22年後
後奈良天皇
第105代天皇
生没年 1496~1557年
在位年 1526~1557年
享年 61歳
この頃もまだ応仁の乱の余波の財政難が解消されず、践祚(せんそ)から10年後に即位の礼が執り行われる
その献金元は各地で台頭してきた戦国大名
正親町(おおぎまち)天皇
第106代将天皇
生没年 1517~1593年
在位年 1557~1586年
享年 77歳
毛利元就の献金で即位の礼を行う
こちらの天皇は「麒麟がくる」を見られてる方にはお馴染みだと思います😁
坂東玉三郎が演じている天皇です😆
信長の死後、豊臣秀吉もその姿勢をならったため、天皇の権威は更に回復し、約120年ぶりに譲位して上皇となったというのも象徴的なこととなります
ドラマで元就に「らんじゃたい」を送ったのは、上記の経緯があったからなのかと思いました
( *´艸`)
後陽成天皇
生没年 1571~1617年
在位年 1586~1611年
享年 47歳
秀吉は猶子(ゆうし)の近衛前子(さきこ)を養女として入内させ、後陽成天皇の外戚となり、朝廷を財政面などで手厚く保護する
しかし、その後天下を取った徳川家康は朝廷に干渉し始めたため、確執が出来る
(天皇陵謎解き完全ガイド・天皇125代の歴史参照)
上記の天皇の他、榮仁親王のお墓もあるということです
僕として天皇が気になるのは、歴史と切り離せないから
今回の麒麟がくるでは、それが分かりやすかったのではないでしょうか⁉
現代では日本の象徴である天皇ですが、過去には政治を行われていたり、権力者との絡みがあったりしましたから😊
こちらの御陵印は、まだ桃山陵墓監区事務所へ行ってないため頂いてません😞
また行ったときに追記でアップしたいと思っています😌
これからは地味な伏見散策が続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ