今回も福知山市のことになります
阿光照神社から、国道429号線へ戻り、国道を右折します
すると、少し走ると道が二手に分かれてるので、右側の道を行きます
おそらくそちらは旧道になると思われます
すると道沿いの右手に鳥居があります
天照玉命神社
住所・京都府福知山市今安1498
旧社格 郷社 式内社
御祭神 天火明命(天照国照彦火明天櫛玉饒速日尊)
駐車場あり
社号標
一の鳥居
鳥居くぐって右手に手水舎
由緒
祭神 丹波国造の先祖天火明命 別名天照国照彦火明天櫛玉饒速日尊
祭礼 10月10日
社殿境内 徳川時代、神祇崇敬の念深かった福知山藩主により、社殿造営社領寄進絶えず、祈雨五穀豊穣病気平癒等の祈願所となり、特に承応2(1653)年藩主松平忠房公は荘厳な本殿拝殿を修造した
現在の社殿は、大正9(1920)年三ヵ年の歳月を費して再建されたもの。本殿西の校倉造の宝庫は、享保14(1729)年に建立された、近在では唯一のもので、高度な文化財的価値をもつ
本殿西側には他に八神社、東側には九神社の小宮を祭る。社格制度制定により、明治5(1872)年、郡内首位として郷社に列れられ、爾来近郷の総氏神として崇敬されている。
(原文のまま・句読点補足)
こちらは以前からあったもののようです
社格は元郷社。延喜式内の古社で、天田四座の一にして、創建は人皇第13代成務天皇(四世紀)の御代、丹波国造大倉岐命が宗家の祖先を祀られたものである。その後、戦国時代の混乱と荒廃により、一時期衰微していたが、承応2(1652)年、時藩主松平主殿守忠房公は崇敬の念特に篤く、同年11月荘厳な本殿及び拝殿を建立された。現在の建物は、大正9(1920)年、氏子の寄進により、三ヵ年の歳月を費して再建したものである。尚、本殿西に現存の校倉造の宝庫は近在唯一のもので、享保14(1716)年の造営によるもので、非常に高い文化資料と称されている。当神社は、五穀豊穣(穂明)神としても名高く、豊富庄を中心とした十三地区民の崇敬をあつめ、雨乞いの練り込みは今もって我々の記憶に新である。
祭例は10月10日
丹波忠重朝臣の和歌
大江山昔のあとの絶えせぬば天照神もあわれとや見む
(原文のまま・句読点補足)
こちらは参道に新旧?の狛犬が並んでいます
(えふ・御寳探訪参照)
拝殿
境内社
それは福知山市の名木(58)に指定されている杉
また近くに行くことがあれば、補完したいと思いますf(^ー^;
次回も福知山のことが続きます
では、またぁ~(* ̄∇ ̄)ノ