第55回京都非公開文化財特別公開 その2 御所の建物が移築された家(梅辻家住宅) | レレレの行ってみたらこんなとこ!

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各地のガイドマップに載っている史跡、山川出版社から出ている歴史散歩シリーズの画像補完計を秘かに計画しています(笑)
ドライブの一助になれば幸いです(^^)
愛書家(読書家とは違います(笑))なもんでたまに本のことも書いてます

前回からの続きです
令和元年11月3日のことです)

次に向かったのは特別公開されていた梅辻家住宅です
住所・京都市北区上賀茂北大路町39
駐車場なし


長屋門から中を望む
社家住宅の多くは薬医門のところ、こちらは上賀茂に残る長屋門の2つの内の1つなんだそうです
(以後、拝観の手引き参照)

解説板
 梅辻家は、代々上賀茂神社に仕えていた社家で、上賀茂社家のうち神主筋である「賀茂七家」の一つに数えられていた。
 現主屋の建築年代は不明であるが、天保9(1838)年ころにはほぼ現在の形になっていたものと思われる。
 建物は居室部と座敷部とからなる。居室部は、正面に入母屋造の式台を付属し、妻面は小屋裏まで立ち上げた柱と水平に通る貫とで飾り社家住宅としての体裁を整え、また西面には鳥居形の内玄関が開き、供待ちの腰掛けが付く。座敷部は座敷と次の間からなり、座敷は北面に押板風の床の間、東面には付書院を備えて花頭窓を開き、天井は床指しの棹縁天井を張る。この座敷部は、確証はないが、御所の学問所を移したものであると伝えられ、古式で格式を備えた意匠をもっている。
 梅辻家住宅は、建築年代やその後の改変について不明な点が多いものの、「賀茂七家」のなかでは現存唯一の遺構であり、なかでも座敷は立派で、上賀茂の社家住宅の代表例として貴重であり、昭和61(1886)年6月2日、京都市指定有形文化財に指定された。
(原文のまま)
梅辻家は、賀茂七家と呼ばれ、順番に上賀茂神社の神主(宮司)に就けた七軒の社家のうちの1つです

入ったとこにはムラサキシキブが咲いてました

室内は撮ってはダメでしたが、こちらの庭園は撮れました
と言っても微妙な庭園でしたが(^^;
先に西村家住宅の庭園見てたから余計かもしれません
f(^^;

ちょっと面白い排水機構がありました

これは雨おとし

解説
樋と雨おとし
軒先より突き出た樋先端(画像3枚目前)の真下に設けられた雨落し、雨水が跳ね建物を濡らすことを避けるための工夫と思われる。
社家の敷地では、水捌けが良くなるように優れた土木的な技術による工夫が施されている。
この雨落しの先に排水溝などが設けられていないことからも、そのことがうかがうことができる。
京の社家を学ぶ会
(原文のまま)
3枚前の画像を見てもらったら分かるように、雨落しが屋根から突きだしていて、建物から離そうとしてることが分かります


床下にも竜の口という排水機構がありました
解説
これも、水捌けをよくする土木的技術による仕掛けがあり、ここでは、縁の下付近に仕掛けられている。
社家の住宅は、足元から傷むことはないと言われている。
この地域が、鴨川流域の扇状地に位置することと合わせて、古来より、住まいにおいて、川、或いは水といったものに対して、配慮がなされてきた証でもある。
(原文のまま)

庭園はこんな感じで広くないです

画像はありませんが、書院は御所の御学問所が移築されたと伝わるものでした
展示してあった源氏物語を描いた屏風は綺麗でした♪
それと賀茂川流域図というのがありましたが、そちらは水利の状況が分かるものと書かれてありますが、水の権利のことのような気がしました
現在で言う水利組合みたいな感じ
建仁寺の名前もありましたよ
(^o^)

この辺りでほ、もう一ヶ所周辺を訪ねます
では、またぁ〜(* ̄∇ ̄)ノ