復興支援を忘れない(仙台、石巻市、女川の旅) | 奥嶋ひろまさの漫画漬け日記

復興支援を忘れない(仙台、石巻市、女川の旅)

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昨日の夜から仙台、石巻、女川に行って来ました。
行こう行こうとは思っていたけど、仕事に穴を開けてまで行くのは絶対違うというのはあって、
しかし震災以降「ランチキ」が終わり二本の連載準備と開始でバタバタしてはいましたが、自分は時間が空いてたら復興支援に行ってたのだろうか?という疑問も持ってました。
今回行こうと決めたのは久しぶりの一日休みと
高田松原の一本松が保存の目的で切られた事で自分の中で震災が風化して行くのではないか?という事と、先日のAIRJAM行こうと思ってたのだけど行けず、でもAIRJAMには被災地を見てくれというメッセージも込められてたのではと思い行く事にしました。
実際、僕が高校の頃に影響を受けたパンクバンドの方達が、被災地復興、反原発と行動を起こしてれのに、僕は漫画で何も出来てねぇなぁと焦っておりました。

さて、旅はと言うと、石巻に朝から行くということだけ決めて出たため、仙台に夜の11時に着いてから一時間半ホテルが見つからず、歩き周り20件電話してやっとダブルを見つけ男二人で泊まりました。(仙台が大きい町だと知らなかった事と、この日はよさこい祭だった)
情報集めにキャバクラへ、キャバ嬢が現地情報を一番知ってるという話し合いの結果。(下心なし)そして、この時聞いた石巻から女川へ行くのが良いという情報が翌日かなり役立つ事に。

そして今日、朝からレンタカーを借りて石巻市へ車で一時間半。見た目では平地で空き地が多く何もない町だったんだなぁと思ってたら後で写真を見たら、空き地だった所は全部、建物をとり壊してたのだと知ってゾッとした。
しかしふらっと立ち寄っても石巻では復興支援イベントをやっていて、日本人てすごいなぁと感動しました。
石巻市では車に乗ってるだけでは被害が分からず女川へ行く事に。
友達が女川には来た事があるということだったのだけど、着いても「ここは僕の知ってる所じゃないですね」なんて言ってて、昼飯へ。
何もない所にポツンとある「岡清」へ、今回の目的は人に会って話を聞く事だったので寿司を食べて社長に話を聞いた。
社長は優しく穏やかに当時の状況を教えてくれた。25メートルの津波が町全部を飲み込み奇跡的に「岡清」だけ助かったということ。
僕が「東京にいる僕らは復興支援のために何をすればいいですか?」と聞くと「お金を使ってくれる事が一番だけど、こうやって気にかけて忘れずに来てくれる事と、来てみないと分からないもんね」と言ってくれて、
僕はこの旅の目的をハッキリさせる事が出来た。
話を聞いて落ち込んでる僕に現地の人は皆「元気を出してよ」と逆に励ましてくれた。

友達が「サイン描くのも支援になるかもしれないですよ」と言ってくれたので、
漫画家だと言う事を明かしちゃっかりサインまで置かせて貰いました。読んでくれてる方もいて一安心。サインを描いてたら気付けば地元のヤンキーに囲まれてました…
岡清さんには必ずまた来ますと約束して別れました。
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そして女川は何もない漁港だったわけではなく駅も建物も何もかもが流されて、規制でこの高さに建物が立てれずにいる状態だったと知り、
何度か来た事のある友達は知らない場所だったのではなく、思い出の町がなくなったのだと知って青ざめていた。
避難場所の高台でも話を聞いたら、「あなたがいるここも津波が来て山まで逃げたのよ」と聞いて、現地に来てしか分からない恐怖を感じた。
現地の人に話を聞くのはもしかしたら失礼なのではと思っていたけど、皆優しくて僕には一年半が過ぎ、目の前で起こった悲劇を受け止めてしっかり生きているように感じた。
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今は、新幹線の中、帰って感じた事を家族に話今まで以上に家族を大切にし、
漫画というこ大好きな事が出来てる幸せを噛み締め一所懸命漫画に打ち込もうと思います。

まだまだ書き足りないような気もしますが、そろそろ東京に着きそうなのでこの辺で。

最後は新幹線のなかで牛タン弁当とエビスビールで締めました。

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