勢いを増す展開と共に、役者さん同士の技量が見事にぶつかり合う回だった。
信長の意向次第では、家康の膳に毒を仕込むことも可能という明智が、世間一般のイメージする明智光秀でグッときた。
さすが酒向さん!と言ってしまうほどに、ずる賢さを匂わせながらもなんだか憎みきれない純粋さもありそうに思えてしまって「くぅ」となった。
そして淀の鯉が供されたときの家康の芝居ぶり。
古狸と言われる片鱗をいかんなく発揮するとともに、本気で天下を獲りにく決心が見えて、
それが良いことではあるのだろうが、
本来の優しい家康の性分を考えると切なくもなる。
一切の細工をしていないという明智の申し開きは一切聞かずに、
殴りつける信長にも心が痛んだ。
ある種冷酷な信長がここまで激高するのは、本当のところで家康を大事に思い、
本心でこれからも共にいて欲しかったのだろうな…。
信長と家康が、恐らく初めて腹を割って話せたのが今回だと思うのだが、
家康と信長の主張の応酬に目が離せなかった。
家臣に友がきのように扱われるのは甘く見られているという事だ、
それではいつか足元を掬われるという信長に
「それならそれでしょうがない」と答える家康。かつて来鳥居忠吉に言われた
「信じなければ、信じてもらえんと。それで裏切られるなら、それまでの器だったのだと」
この言葉は、信長の根底を覆してしまうものだったのではなかろうか。
「信じられるのは己だけ」と教え込まれ、
信じられるものが傍にいない限り、なんでも一人で出来るようにならなければならない。
しかも誰よりも秀でた状態で。
しかし家康は、それは自分には出来ないと言い
「これまで生き延びてこられたのは周りの助けがあったから」と言う。
信長が手を奮わせながら頭を押さえるのは、
自分とは真逆のやり方で自分と肩を並べる程の器をもつ男がここにいると感じたからではないかと思った。
乱世を治めるには、人を平気で殺せる非道さや人への恐怖心というもので治めてこれるが、
安寧の世になれば、それは通用しない。
もしかしたら、信長自身が、自分の役目の終わりを感じたのではないだろうか。
「弱き兎は狼を食らうんじゃ」
そう家康に言われ、一人きりになった信長が、自席に戻るまでのカットも印象的だった。
ゆらゆらと揺れるアングル。
それは信長の今まで自分が信じてきた世界が覆りつつることを指しているのか、
それとも別の何かなのか…。
座した信長の視線に先にあるものは何なのか。
情なイメージが強い信長だが、
「人を殺めるという事はその痛み苦しみ恨みを全てこの身に受け止めるという事じゃ!十人殺せば十の痛み、百人殺せば百の痛み、万ころせば万の痛みじゃ!!」
というセリフから、そうせねばならぬ、そうしなければ天下を統べることはできないという
強い思いから、たった一人で戦ってきたのだという信長の辛さが感じられた。
家康とのやり取りの中で、どうしようもなく異なる二人の「才」が浮き彫りになり、
互いにそれが分かるからこそ流れたのか、一筋の涙にも旨を打たれた。
どちらも台本の指示ではなく自然に流れた涙と聞いたので、
感動以外の何者でもない。
乱世でない世界の政を、自分とは違う形でやっていくと言う家康の姿に、
もしかしたら信長は時代の流れを読んだのかもしれない…
本能寺で自分を殺させることで、家康に次の時代を担わせるつもりだったのかも…
なのに、現れたのが明智とは!?
そこまで含めて家康の策略なのか、否か。
「どうする家康」の「本能寺の変」が楽しみでならない。