奈良 聖林寺ものがたり -4ページ目

奈良 聖林寺ものがたり

奈良の聖林寺 国宝十一面観音立像の光について
四十年来光背(光)の研究をしています。

小さな孫ちゃん、こっちゃん、ゆうちゃん、ななちゃん、みくちゃん、じゅうちゃん、ちやちゃん、わこちゃん、
赤ちゃんの時、沢山ほほずりして、沢山抱き締めたので、いまでは、皆、忙しくてなかなか会えませんが、私は、いつも、満足して、皆に、いつも、にっこり、手をふっていますよ。

皆が、大人になる頃、沢山の悩み事があるだろうにと、思うと、つい心配になりますが、最近、とても良い本を読みました。小さな孫ちゃん達に、ぜひ、伝えたかったことが、全部その本に書いてあったので、じじに頼んで、7冊の本を注文しました。一人ひとりに、自分の本として読んでもらうために。

大人になっても、もし、読んでなかったら、私は、とても悲しいです。中学生になる頃には、理解できると思います。理解できない時は、一生をかけて、読み続け、考えて下さいね❤️

この本には、宇宙の成り立ちから、なぜ人が、お父さんと、お母さんの間に生まれてくるのか、お母さんの命がとても大切なのだとか、お父さんの働きがとても大切なのだとか、理解できると思います。
私と、皆は、離れて暮らしてはいますが、おばあさんのパワーをいつも、電波のように送っています、家族はいつも一緒にはいませんが、心があるので、心は、電波のように、目に見えないけれど、飛んでいけます。
いつも、心は美しく磨いておくのですよ。もし、悪者が悪い電波を飛ばしてきても、美しい良い心は、つるりと、悪い物をかわしてしまうのです。美しく良い心は、幸せを沢山キャッチします。
大昔からある日本の神様を感じることが、出来たら、お釈迦様のお話は、きっと、分かりやすく、理解できるはずです。そうして、キリスト様や、他所の国の人の神様のことも、より、理解できるようになるかもしれません。
まずは、自分がうまれて、住んでいる、この国のこの土地の神様から、知ることが大切ですね。
神様は、この世の中、宇宙を作った、宇宙そのものです。人間は、宇宙の中の小さな生き物です。海で生きるクジラより小さいですものね。
台風も神様の仕事のひとつです。大変ですね。危険な目に会わないように、よくよく、大人の注意を聞き逃さないようにね。それが大切な知恵です。
神様を知りたかったら、古い大きな木がある、静かな美しい神社にでかけると良いでしょう。
美しい神様の電波が飛び交うところに、昔の人は、神社にして、美しい森を残しました。
昔は、鎮守の森といって、沢山あったようです。私が、連れていってあげたいけれど、奈良まで、来てくれる子がいたら、一緒に行こうね。

私は、もう、目があまり、見えないし、体力も少なくなったので、いつまで、皆を、待てることやら、でも、いつも、にっこり、手をふっていますよ。忘れないでね🎵

忍耐(にんたい)なんて、もう、誰も




、使わなくなりました。
がんばって、心を強くもって、耐えることです。
でも、頑張りすぎると、病気になるので、気をつけてね。楽しいことを沢山。そして、ここぞと思う時には、がんばって、たえるのですよ。
楽しいことばかりは、案外おもしろくなくなるものです。
さあて、私は、疲れてきたので、ここらで、やすみましょう。
病院を退院して来たので、この日曜には、また奈良へ出かけてきますよ❤️
私は、決して荒唐無稽な輩やからではありませんが、かなり、天真爛漫、無謀な若者でした。
猪突猛進です。
昭和48年頃、ただの大学院生の身分で、文化庁の文化財課の建築(古社寺関係)の役所を一人訪ねました。研究室の長である西村公朝先生に許可を貰って行ったはずで、先生が前もって、学生が訪ねるのでと、連絡はいっていたはずだと、今になっては、私も勝手なことはしないので、そうは思ってはいるのですが、その経過は記憶にありません。
いくら猪突猛進でも。ね、勝手にひとりで、そんな所へは行けないと思います。

対応してくださった、技官は学生に対しても丁寧で、「奈良の大三輪神社の元大御輪寺、若宮社の詳しい発掘調査はまだ、されていない」とのことでした。
現在の建物の分解設計図面の古い折り畳まれた紙が一枚、唯一の資料でした。

研究の為に、大学に持ち帰りたいと、お願いしました。許可をいただいて、紙袋をだいて、部屋の外に、出てほっと、歩き始めた私の後を急いで、追いかけて来た、その若い技官が、「それ、一枚しかない資料なので、絶対に無くさずに返してね」と、強く念押しするように言われ、「はい、必ず」と、元気よく返事をしました。
今のように、ちょっと、コピーします。という時代ではありません、
資料を胸に、(一枚しかないんだ。無くしたら、国に一枚しかないものを無くす?ちょっと
これは、大変?)と、しっかりしなくてはと、紙袋を持つ手に力をいれましたが、今から思えば、自分が大変な研究に踏み込んだことを、然程に気付いてはなかったように思います。
目の前の自分自身の、興味深い、天平文化の謎解きに、夢中になっている、無謀な若者でした。

その後、20年近く、私が子育てをしたり、美術関係の様々な、仕事、中でも、仏像研究の講座をNHK文化センターで、十数年続けてきたことは、私のライフワークへ、つながる大切な、時間となりました。
私は、内容的に、十分に立派に、生きてきた自信はないのですが、失敗も含めて、私には必要な大切な時間、一秒たりとも、無駄には使わなかった自信はあります。

その、およそ、20年の間、聖林寺弘玄ご住職が私を探してくださり、文化庁では、数年をかけて、旧大御輪寺跡の発掘調査も行われ、さらに檜造りで、奈良県庁の宮大工の職員さんで、精巧な復元模型の建物まで、制作されていたのです。貴重な時間が、私とは、違う場所で、しかし、私には必要なものが、積み重ねられていました。

すべては、神(何かは分からない、賢き尊いもの宇宙そのもの?)の示す道を歩いてきたとしか思えません。

今日、24日は、聖林寺、ご本尊のお会式です。
台風一過、晴れの日であれば、参拝の方々の足元が楽でしょう。
この



宇宙の中で、御加護がありますように。
病室のテレビのニュースで、来年、天皇即位の儀式に使われる、高御座(たかみくら)を解体修理する為の作業の様子を、偶然見ました。

高御座は、奈良時代から変わらない形であるとの説明が流れました。
まさに、聖武天皇や持統天皇の時代からの伝承です。

東大寺三月堂の本尊、不空羂索観音像は、天皇の座である、あのような、八本の柱に立派な天蓋の屋根を乗せた、高御座の中に、立って居られたのです。(私の論文に書きました)

現在の姿は、高御座が、何らかの事情で無くなった、平安から鎌倉時代、にかけてからの姿です。
天井に、鎌倉時代の蓮の華形の天蓋が新しく補われ、かつ、身光部分に、乾漆で作られた頭光のつもりの、光輪が取り付けられてしまったのだと、私は想像しています。
元々、当初から、頭光が取り付けられてはいなかった、不空羂索観音像の前で、思案にくれる鎌倉時代の光仏師の姿が見えるようです。
さらに、数百年後の我々が、思案にくれるはずです。

庶民が、見ることも出来なかった、即位の様子を映像で見ることのできる、現代の奇跡。

天平時代の三月堂の空間を、垣間見た思いがしました。

今年の夏の初め、奈良市のホメオパシーを受けに行った、浅田さんのお部屋に、西日が射してきて、お部屋中に、美しい虹の光の玉が、飛び始めました。
それは、それは、優しく、美しく、部屋の中を飛び交います。
西側の窓に下げられた、ちいさな水晶や、ガラスなのか、輝石の玉が、数個、太陽の光に反射していたのです。

天平時代の、持統天皇の前で、三月堂の堂内は、天蓋や、観音の宝冠から下げられた、二万個以上の、宝石の虹色の反射光が、キラキラとみちみちて、それは、それは、夢のような、空間であったことでしょう。

1300年もの、伝統を続け、我々に伝えてきた、日本人という、民族を素直に誇りに思い、心から敬意を表します。
天皇は、末長く、日本の国の象徴として、神、仏に、国の安泰と幸せを祈る、天皇であられますように。お願い申し上げます。
しかも、皇后も、共に、同じ高御座に、座します。男女平等、共生である象徴です。

本来、男尊女卑は、他所の国の習慣です。
子育てを大事にせずして、なんの繁栄か。
生む生まないの問題ではなく、共に、共生して、生む者も生まない者も、我欲の為ではなく、神からの預りものとして、皆で、子育てをして、末長く、幸せが続きますように。
天平時代の空間から、また、話が飛びました。お許しあれ、病室では、いつも、夢の中です。








我が家へ、三番目の赤ちゃんが、産院から帰ってきた日の、最初の訪問者は、庭を接して、親しくしていたお隣さんでした。
お母さんと一緒に、にこにこやってきた5才だった、お隣のお姉ちゃんが、赤ちゃんを覗き込みながら、「お名前は、なあに?」と、尋ねました。教えてあげると、「じぁ、ちっちゃんね」と、いって、ちっちゃん、と何度も呼び掛けていました。

お隣のお母さんが、留守番をしていた我が家の三才と、五才の二人のちいさな、お兄ちゃん達は、外を「わぁ〰️ぃ、赤ちゃんが生まれたよ」と、両手を上げて、嬉しそうに近所に触れ回ったのよ🎵と、教えてくれました。

ちっちゃな、お姉ちゃんが、付けてくれた、赤ちゃんの初めての呼び名は、ちっちゃん、でした。

ちいさな、いのち、は、いのいち番、大切ないのち、でした。

世界中のちいさな人達が、元気に育ちますように。いのちが、いち番、大切なものです。

はるち、うむち、つづち。

写真は、私の幼友達のお家の立派な一間の床の間です。

西陣織りで仕立てた、観音様の文様を額仕立てたにしてくれました。

下に置いてあるちいさな額たちは、これから、それぞれのご縁のある人々の所へ、旅立ちます。

西陣織りが高価な為に、簡単には、作られない作品です。沢山のそれぞれの場所で、観音様の光が、静かに、深く、深く、ひかり続けることでしょう。沢山の人々が関わり、祈りの中で、作品となった、ひかりに、手を合わせることが出来ました。私を送り迎えして、家に招いてくれ、額装をした作品を見せてくれた、ともちゃん、
感謝しています。あれから、入院はしましたが、無事、回復中🎵
あの時、ともちゃんの家から持ってきた、タオル、入院するとき、お守りに、持ってきました。貴女の清らかな心持ちが、タオルに染みてるようで、まるで子供がぬいぐるみを抱くように、あのタオルをベッドに置いています。
ともちゃんは、ブログを見ないかもしれませんが、きっと、観音さまの光がつなげてくれています。





やっと、管がひとつ取れました。月曜には更に楽になりそうです。
27日は、天理の病院の予約があり、是非受けて、タイミングを外さず、奈良で検査を続けるように、今、主治医が来られて、熱心に説明していかれました。この状況は貴女の運の良さです。と、言われましたが、今まで、何かしらのお知らせを受けて、動かされてきた人生に、悔いはありません。
今は、用心深く行動せよとのお知らせのようです。
今回の入院で、旧くからのお知り合いが、「はるち、うむち、つづち」と、口ずさみますようにと、短いメールをくださいました。
多分、言霊です。
簡単に、「張る力、生む力、続ける力」と、説明らしき文字も。
「浄化再生」の日本語版!ことだま(言霊)に違いないと、勝手に解釈。
いつも、色々な出会いがあり、守って頂いています。

入院前、書家の栗原光峰さんに、私の為に一文字書きますから、選んでと、言われ、

辞書の中から、ひと文字を選んで「聖」をお願いしました。聖林寺の一文字です。

彼女は、静かにそして、情熱を込めて、書き上げました。

しばらく、彼女は、自分が書き上げた文字を見続けて、「聖って、生きると言う字になるんですね」と、感慨深い息をしながら、私を見ました。

これも、言霊です。

はるち、うむち、つづち、




の「ち」は、血、地、乳、千、すなわちエネルギーですね。

はるちゃん、はるこさん、良い名前。ちず子さんも、良いお名前です。私、まだ、生きているので、また、必ず、会いましょう❤️
針治療を受け、手術後長く痛んだ、お腹の中の傷の痛みが、突如消えて、すっかり、気分よくなったので、食事が少し増えてしまったようで、てきめん、消化不良を起こし、8日に緊急入院いたしました。腸閉塞までは、なっていないようで、今朝の血液検査も良い方向のようです。懐かしい看護婦さんと、楽しく心地よく養生しております。お腹の張りの苦しさは、直ぐに痛み止めをいただきます。良くないとは分かりながら、もう、我慢はしません。しかし、ある時、親指と人差し指の間の合谷というツボを押してみたら、痛みが軽減したので、なるべく、薬に頼らないようにしています。

食事といえば、お地蔵さまのお供えの写真、載せておきましょう。先月の聖林寺橋のたもとの地蔵さまの、一年に一度のお祭りと、聖林寺境内のお地蔵さまの毎月8日のお花のお供えです。
お隣の畑のお花も夏枯れで、仕方ないので、猫じゃらしと、姫しおんを摘んでいたら、お隣の秋子さんに、おやおやと、言われました。
それでも賑やかになって、お地蔵さまも子供の仕事と、目こぼしくださるでしょう。
お地蔵さまは、賢いので、私の様に、食べ過ぎることはないはずですね。
この暑さですから、皆様も、くれぐれも、お大事に。私もやや、熱中症気味のようです。
入院して正解でした。





写真の一枚は、お薬師会の女性達、朝の6じ前からお寺に上がって、庭の草取りです。一段落すれば、ご住職の心尽くしの朝粥を頂いて解散。皆様もくれぐれも、お大事に。お寺で流す汗は、あとは爽やかですね。
太極拳の講習会に出かけ、長年の疑問が解けました。
それは、人間の形についてです。

人の形は、基本は、五角形で、ヒトデ形なのではないかしら?と昔から、思っていました。
ミケランジェロの人体図を見た子供の頃からです。

身体の中心はお臍のあたり。としたら、えらく、胴体が長く太いので、きれいな星形の五角形にならず、人間の形は不恰好だと、ずっと、思っていました。

太極拳の講習会の講師の方が、動きは、足から、腰、手を動かす。と、言われました。
そこに、肩は入っていません。

つい、人は、肩を動かします。肩を動かすと、腰と違う動きになって、ねじれが生じます。
実は、肩は腰とは直接つながっていて、腰が動けば肩は連動しているのです。
腰と肩は同じ動きをすると、美しい動きになるようです。お能の動きのようですね。

足から、腰、それから、手と動く。

なるほど、やはり、人は五角形です。

そうして、足の裏が地面に吸い付くように、手も空気の中を泳ぐかのように。これは、私の勝手なイメージです。

やはり、肩と腰が同じ仕事をすれば、美しい動きになると、言うと、私には、ハッキリと、両手、両足、頭で、


美しい五角形がイメージされて、納得したのです。

この話、理解してもらえるでしょうか?
そもそも、五角形の天の一角は頭の部分ですが、脳が特殊に発達したせいか、蛸のようにまん丸で、あまり、美しくはありませんね。

先日、テレビで見た、踊る、孔雀のような、蜘蛛は、カッコいい姿でした。
羽を美しく左右に広げる鳥もカッコ良かったです。
そう言えば、人間の空手の形も美しいですね。
今、私は、ゆっくりと、泳ぐかのような、太極拳の美しい動きに集中しています。



「ひかり」の線について、
2018年現在、西陣織りの「ひかり」の図面が完成して、数年が経つ今、大切なことを記録しておきたいと、思います。

人が自らの手で描く線描は、その人の呼吸の波長を表すのです。その人自身であり、その同じ時代の波長波動でもあるのです。
奈良時代と、平安時代前期と、後期では、それぞれ明らかに、波長が異なり、鎌倉時代初期
は、奈良時代に似ているけれど、また明らかに奈良時代とは違っています。

私が、図面に筆を下ろすとき、どれ程に緊張したことか、どれ程に緊張を振り払ったことか、今では、記憶を喪失してしまいました。はっきり言うと、思い出したくありません。

最初の大きな(横3メートル、縦4メートルの一枚漉きの、特注の吉野和紙に礬水引きをしてもらいました。)紙に、筆を下ろすまで、数ヶ月の間、仕事を中断しました。怖くて、筆が持てなかったのです。
そんな時、公朝先生の臨終に遭遇しました。先生は、遠方に居られる親族が枕元にそろうまで、医師の管理のもと、人工呼吸器がつけられていました。
私は「ひかり」の大きな図面を脇に抱えていました。「先生、図面がほとんと、完成しました」と声をかけかけた私を、一人付き添われていた奥様が、「痛みが来ないように、寝かせておいてあげなさい」と、私の肩に手を置かれ、制止されました。
私は、頷いて、それから、心の中で、先生に話かけました。あれこれと。
そんな時、気付いたのです。
人工呼吸器から、シュシュと、空気が入って来る時は、先生は全く動きません。するとしばらくして、次に、「ハッ」と、先生が、自分で大きく息を吐き出されるのです。「あっ、生きて居られる」と、思いました。
そうして、突然思い出したのです。先生が筆を持って、紙に線を引かれる時の様子を。
先生は、息を長く吐き出しながら、線を一気に引かれていたのです。
息を吐くこと。それが生きることであり、行動することだった。
息を吐き出しながら、筆を使うのだと。
私が臨終の先生の枕元に立てたのは、偶然の巡り合わせでしたが、その時、私か一番、先生に相談したかったのは、「筆との葛藤」だったのです。
観音様のお導きだったとしか、思えません。私が来たので、奥様は、「もう、皆に知らせねばならないね」と、言われ、まず、親しくしていた歌手の長淵剛氏に電話をかけ、それから、身近な人達に電話をかけ始めました。奥様の知らせで、急ぎ次の早朝、病院に東京から駆け付けた先輩が、病室の前で迎えた私を見て、「こんな所に居るなんて、本当に貴女は不思議な人だね」と、呟きました。
私も、不思議なことだと、思っていました。もう、言葉も出ない先生に、一番大事な呼吸のことを教えていただいたのです。前日、突然、急に胸騒ぎを感じて、お寺に電話をし、緊急事態を直感して、東京駅から新幹線に飛び乗ったのでした。少し遅れていたなら、一人で先生に向き合う時間など、なかったはずです。
(今では、息を長く吐くことを意識して、太極拳をしています。太極拳につながっているのも、お釈迦様とのつながりの中にあります。)
先生が、私に言われた最後の言葉は、「正倉院の文様を研究しなさい」でした。言葉ではない最後の教えは「呼吸」でした。


もうひとつ、「ひかり」の線のこと。
西陣織りは、絵画です。しかも、暗いお堂の中で、金色が、しかも、古色を帯びた線がどのように見えるか、考えました。実際は檜の板の立体のレリーフであるように見せたい、彫刻としての存在感も重要でした。そこで、実際のエッジに添って、黒い線で、厚みの影を書き加えました。だから、本当の檜のエッジの縁は、金色の部分です。
金で浮かび上がった部分が文様の角、エッジです。
絵に描かれているより、より、繊細であることを理解してください。
黒い線は、あくまでも、板の厚みの奥行きの部分です。

もし、「ひかり」が檜で彫刻される日が来たら、その時、言葉を発することが出来なくとも、せめて、傍で見守りたいものと思います。
私は、自分がひかり自身になれますようにと、願っております。



この宇宙にどれ程の波動が動いていることでしょう、エネルギーの波動です。
先日、幼友達の手から出る波動を見ました。
三種類あるのですが、三種類とも、色や形が違います。最後の波動は、明るい青紫の強い光で、幅が均等で7ミリほど。幼友達は長く気功を勉強しているのですが、どうやって習得したのか不思議です。私は確かに彼女の波動を感じることが出来る時、とても幸せな気分になれます。
私は感性があるとは言われますが、自ら気を流すことには、まだ、実感が湧きません。ただ、太極拳の心地よさは、かなり理解の入り口に来ているきがしています。

去年、春、個展をした時の縁で知り合いになった、(その場所はエステなのですが、)波動治療をするパールと言うお店に、今日、随分久しぶりに出掛けました。お腹の違和感が私には問題でした。土曜日に行く、太極拳の講習会の前にもう少し、体が楽になりたいと思って。
波動治療は、複雑にインプットされたコンピューターが治療をします🎵。(その機械が元はロシアで作られたという所が妖しくミステリアスですが)それは、私の全身をチェックしてくれます。健康ならば、全身から出るオーラのような画像が、それこそ、仏像の光のように画像に出てきます。異常があれば、そこが、凹んでいびつになります。
なんと、私のオーラは、見事に左側の問題の場所で凹んでいました。しかし、病名では表示されません。癌と言う文字もでません。
10こ程も問題がありましたが、機械の治療でひとつを除いて治療されました。そのひとつは、血圧の問題でしたが、たいしたことではなさそうです。神経的な疲労が大きな問題だったようです。それに、腸内細菌が異常発生していたと言われました。消化不良や、腹痛はそのせいだったかも。
ペットで表示されたお腹の光は、病名では出てきませんでした。
しかも、癌という言葉も出なかったので、かなり、気分楽になりました。お腹の違和感は、腸の癒着かも、と言われましたが、腹壁ヘルニアの手術後から出てきた痛みなので、そのあたりが正解かもしれません。今まで、何人もの医者が、このことに関わって、何も結論が出ないのですから、仕方ありません。いよいよ、異常事態になって、再び開腹手術とならないかぎり、本当のところは、分からないでしょう。
お腹に違和感があるのは、確かなので、ボチボチ無理をしないで、動きましょう。

癌の結末は、痩せて、全身の機能不全になって行くそうです。老化の時間が速まると言うこと


でしょう。そうなら、それなりに残っている時間を充分に楽しみたいと思います。

お茶の味や、食の旨味が深く感じられます。
幸せなことです。

まだ、お腹の中が吊るような痛みが来るのですが、動けないわけではないので、太極拳の練習に出掛けました。すでに、仲間達が、扇の演舞をしています。2ヶ月前より、かなり上達。やはり、続けて精進することは素晴らしい。
生きることは、美しいと思いながら見物していました。
久しぶりに先生の指導を受けたことを、忘れずに記録しておきます。

◎足の裏全体で柔らかく着地し、足つぼの涌泉(ゆうせん)あたりに意識がある。(先日、藤原宮跡で見た、蓮の花を思い出しました。柔らかく、伸びやかに空を目指す蓮の茎のようです。)

◎ひとつ、ひとつの動作ごとに、ゆるむ。(呼吸をすること。息を吐くと体がゆるみます)

◎後ろ足を伸ばす時に、緩やかに腰が、連動して回転する。(伸ばすことばかり意識して、ギクシャクしていました)

◎同時に、地に沈み天に伸びる意識。
(はじめは、何のことやら理解出来ませんでしたが、分かると、なんとも、解放されたような
心地よいものです)

◎先生の動きを見ていると、まるで水の中を優雅に平然と動いているかのように見えます。
大気の流れを水のように捉えたら、あのような無理のない、しかも、力強い動きになるのでしょうか。

動いている間、痛みのあるお腹に意識が行きませんでした。感謝です。
動きが、ゆっくりなので、大丈夫です。